ミステリのファンタジー 『捜査線上の夕映え』 有栖川有栖
[レビュアー] 円堂都司昭(文芸評論家)
大阪のマンションで殴殺された男性が発見された。凶器は部屋にあった置物。死体はスーツケースに詰められ、クローゼットに置かれていた。交際していた女性や彼から金を借りていた男性など、容疑者は複数浮かぶ。だが、防犯カメラの映像やアリバイが障害になり、本命をなかなか絞りこめない。
そのように有栖川有栖『捜査線上の夕映え』には、密室、館や孤島、見立て殺人といった派手な道具立てはない。ありふれた殺人のようなのに、なぜかすんなり捜査が進まない事件を題材にしている。興味深いのは、登場人物である作家アリスが、最近の特殊設定ミステリの流行に触れつつ、自分は「ミステリはこの世にあるものだけで書かれたファンタジー」ととらえていると述べていること。この小説は臨床犯罪学者・火村英生が名探偵、作家アリスがワトソン役となるシリーズの一作だが、作中ではある刑事が火村についてこう語る。「あの人が乗り出してくると、地味な事件がファンタジーになってしまいがちです」。実際、本作はそういう風に書かれている。
一見地味な事件が魅力的な作品になっているのは、語り口によるところが大きい。いつも通り、火村とアリスの軽妙なやりとりは楽しい。また、コロナ禍でGo To トラベルが話題になった時期を舞台とし、旅が物語のポイントになっている。その過程で事件関係者が共有する心象風景であり、書名にもなっている夕焼けの記憶が掘り起こされる。捜査を膠着させた真相の中心には、大胆だが単純なトリックがあった。とはいえ、その単純なトリックは、夕焼けの記憶と結びつくことで詩情を帯びる。有栖川ミステリのファンタジーである。