コロナ禍の不安を遮断して、やさしく、ほんのり幸福感に包まれた「繭」に引きこもれるとしたら……福田和代の最新刊『繭の季節が始まる』
エッセイ
物語の魔法 『繭の季節が始まる』著者新刊エッセイ 福田和代
[レビュアー] 福田和代
言葉と物語は、ときに「状況」に魔法をかける。
最初の緊急事態宣言を目前にした二〇二〇年四月のある日、ふと心に浮かんだ物語をネットに書きとめた。
AIやロボットが普及して、ビスケット工場で働く主人公のおもな仕事は、ビスケットの味見だ。そこにウイルス禍が始まり、人類はあらかじめ用意された「繭」に引きこもる。
「繭の季節が始まる」というそのショートストーリーは、書いた本人が意外に感じたほど多くの読者をえて、おなじ緊急事態の真っ最中なのになんだかやさしく、ほんのり幸福感に包まれた「繭」のありかたに賛同する声もいただいた。
ウイルスとの戦いがいつかは必ず終わることを、私たちは歴史に学んで知っている。それでも渦中にあれば、見通しのきかない未来はやっぱり不安だ。
キンキュウジタイセンゲンという言葉の、堅苦しくて窮屈で、人を脅すようなまがまがしい響きもあって、なるべくなら避けて通りたい気持ちになる。
でも、「繭」なら―。
ちょっと、入ってみたいかも?
ウイルス禍の恐怖、先行きへの不安、経済的な心細さ、社会のとげとげしい雰囲気、そんな深刻なものごとをすべて遮断し、ふわふわと温かい「繭」に包まれて、危難が去るのをじっと待つ。できれば、「繭」を出るときには、ひとまわり成長した自分になっている。
短編連作に改変するにあたり、主人公は「繭」に入れない警察官にした。「繭」の季節でも事件は起きる。ぬくぬくとした「繭」を守る、警察官とロボット猫一匹。彼らの目を通した世界を、楽しみながら書いた。
文章を書くことで救われたことは数知れない。
今回も、この物語を書いて救われたのは、わたし自身だったかもしれない。