世界を鎮める戦いとして 古川日出男『曼陀羅華X』

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曼陀羅華X

『曼陀羅華X』

著者
古川 日出男 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103060796
発売日
2022/03/15
価格
3,630円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

世界を鎮める戦いとして

[レビュアー] 管啓次郎(比較文学者)

管啓次郎・評「世界を鎮める戦いとして」

 きみはフォークナーの『八月の光』を、ワイルドの『サロメ』を知っているかもしれない。知らなくても気にしなくていいが知っているとその分この作品が好きになるはずだ。ロレンソ了斎はどうか。ぼくは知らなかったが、その人がフランシスコ・ザビエルにより洗礼を受けたイエズス会修道士でもともと盲目の琵琶法師だったことを知って、電撃的な衝撃を受けた。ロレンソはこの小説の登場人物ではなく、ただあるキャラクターにインストールされる前世にすぎない。けれども強烈な喚起力がある。作者の脳という混沌の中でこれらの名がきらりと光り、何かを知らせてくる。知らせてくるメッセージが了解不可能でも、それらは小説の魅力のたしかな一部だ。思いがけない美しい貝殻が転がっていない砂浜など、誰も歩きたくないだろう。

 だがこの作品の本質は他にある。一般論として小説のもっとも基本的な役割は国家批判だ。個々の小説家が意図しようがしまいが、すべての小説が異世界の提示であり現実批判である以上、それらは世界を規制する法と枠づける国家の批判にゆきつく。法や国家を積極的に追認している小説がないわけではないが、それは小説自身がみずからの可能性に目覚めていないだけ。古川日出男の道は、いつものことながらその対極にむかって延びてゆく。国家・歴史・言語の批判にむかって。過剰なまでに。

 反国家をめざす集団は現実にいくらでも存在してきた。国家は私たちの生存圏をべったりと支配している。守られているうちはいい。国家はその本性上、内を守るために外を攻撃し、支配を貫徹するために内部を序列化する。ここでもっぱら「支配され虐げられている」という感覚を抱えて生きる人々が、反乱を企てるのは当然だ。国家に対する大小の反国家の樹立をめざして。問題は反国家が国家の相似形においてしか自分を構想できないことだ。資本の支配に対して宗教の支配という別の原則をもちだす反国家にしても、それは国家を擬態する。だったら国家と反国家のいずれからも離脱する第三の道は? 小説がそれだ、と確信し断言できる者を、改めて「小説家」と呼ぶことにしようか。古川日出男はこの意味での小説家、『曼陀羅華X』はその意味での小説だ。

 1995年、作家が拉致される。国家に対する戦いを挑む、ある宗教団体によって。彼は監禁され未来を書くことを要求される。小説の語り手のひとりとして、作家は「大文字のX」と名指される。これに対してやはり語り手のひとりとして「大文字のY」が登場する。教団にとって彼女は教母すなわち教祖の母であり、教団の幹部たちに前世をインストールする役目も担っている。彼女が教母になったのは、盲目の教祖ωとの儀礼的交合により2代め教祖αを妊娠・出産したから。1996年に生まれた嬰児は、どうやら作家により保護されたらしい。2004年には血がつながらない作家と父子として仲良く暮らしている。この少年は耳が聞こえず、手話で会話する。ときどき訪れる作家のガールフレンドによくなついていて、一緒に植物図鑑を作ろうとする。

 と書いても、あまりに複雑な構成をもつこの作品の何を伝えることもできそうにない。実際、この途方もない作品を一読しても、何がわかったともいえない。たぶん三読四読したとき、それまで気づかなかった植物や岩の布陣に気づき、荒野がまったく別の相貌を帯びるようになるのだろう。だが一読でもストレートに感知できるのは、作者の言語的バランス感覚だ。世界には反世界が必要だと本能的に考え感じ判断する者ならば、たとえば盲目の教祖に対してろう者の二代めを措定した上で、感覚をひとつ欠く人への聖書の差別意識に怒るのも当然だった。血統による支配をめざすことにかけてはこの世の王国と変わらない教団に対しては、血縁なき世俗の聖家族が、まさに小説的家族としてしずかな明るみをしめす。

 終盤が見えてきたころ、この「黙示録の生放送」のもっとも感動的なメッセージが語られる。「ある集団が世界を壊すなら、個人は世界を鎮めると考える。/私の文学的な本能がそれを考える」。語るのは小説内の作家だが、同時に、作者その人だ。「もしもステレオタイプではない文学をするならば、ここまで来い」。古川日出男はふりむいてそういった。その声を聞いたわれわれは、マグマの熱が感じられそうな深い亀裂を思い切って跳びこえることができるだろうか。

新潮社 波
2022年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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