人気アナに登り詰めた男が書く「サラリーマン秘伝の書」

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伝わる仕組み

『伝わる仕組み』

著者
藤井 貴彦 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
社会科学/社会科学総記
ISBN
9784103544319
発売日
2022/02/16
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

人気アナに登り詰めた男が書く「サラリーマン秘伝の書」

[レビュアー] 栗下直也(記者/書評家)

報道番組「news every.」のメインキャスター藤井貴彦による一冊『伝わる仕組み―毎日の会話が変わる51のルール―』が刊行。日本テレ入社以来、27年間に培った経験を元にした本作の読みどころを記者で書評家の栗下直也さんが語る。

栗下直也・評「人気アナに登り詰めた男が書く「サラリーマン秘伝の書」」

 アラフォーの私が学生時代にテレビにかじりついていた頃、「日テレの藤井アナウンサー」といえば藤井貴彦アナではなかった。ひょうきんな表情を浮かべ、バラエティー番組に引っ張りだこの藤井恒久アナウンサーだった。「それはあなたの思い込みだろ」と指摘されそうだが、インターネットで「日テレ 藤井」と検索してもウィキペディアでは貴彦アナより恒久アナが今でも上位に出てくる。日本のお茶の間では藤井といえば貴彦アナより恒久アナの時代があったのだ。今っぽく、「目立つ方」と「じゃない方」に分ければ貴彦アナが「じゃない方」だった。少なくとも20年ほど前は。

 それが、どうした貴彦。今や押しも押されもせぬ日テレ、いや日本の夕方の顔ではないか。50歳の今、飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍で、キャスターを務める夕方のニュース番組「news every.」の視聴率は同時間帯ではダントツの数字だとか。

 好きな男性アナウンサーランキングでも軒並み上位に位置し、1位に輝くことも。もう、「じゃない方」じゃない。「目立つ方」だった恒久アナは異動ですでにアナウンサーではなく、お茶の間の記憶も薄れつつある。今や日本で藤井といえば、貴彦を凌ぐのは将棋指しの聡太くらいだろう。

「生真面目さがいい」、「控えめな姿勢に好感をもてる」。人気アナランキングのアンケート結果にはこうした声が目立つようだ。「俺が俺が」のイケイケよりも、下手すると地味と称されかねない生真面目さが令和の今では視聴者の心をつかむのかもしれない。

 そう聞くと、「生真面目さや控えめな姿勢って生来のものだからね。簡単に真似できないよね」と思ってしまう人も多いかもしれないが、本書を読むとそれは大きな誤解であることがわかる。

 アナウンサーは人気職種だ。地味で控えめな人間はなりたくてもなれない。そもそも目指さない。藤井アナの一歩引いた姿勢も葛藤の末にたどり着いたことが本書には実体験を交えながら記されている。あの喋りも心安まる笑顔も物腰の柔らかさも努力の賜物なのだ。つまり、理屈としては、そのエッセンスを学べば私もあなたも好感度爆上がりオジサン、オバサンになれるわけだ。

 本書はアナウンス技術や話し方の本ではない。コミュニケーションの本だ。もっとわかりやすく言えば、「つまらない奴と思われない」、「うざがられない」、「なぜか嫌われない」スキルを四半世紀かけて磨き上げたサラリーマンの秘伝の書ともいえる。

 51項目に分けて、誰もが直面するコミュニケーションの難局をどう乗り切るかをわかりやすく書いている。初対面の人とどのような会話をしたらいいか、わからない場合にどうするべきか。会話が弾まない場合にどう盛り上げればいいか。アドリブはどうしたら身につくのか。社会人ならば誰もが一度は遭遇して冷や汗をかいたであろうシチュエーションがこれでもかと並ぶ。

 例えば、自分が参加している会話や会合が沈黙に包まれたらどうすべきか。藤井アナは「自分は何も語らずにずっとパスを出していればいい」と語る。「何か喋らなきゃ」と焦らずに、参加者にひたすら聞いて回る。日本人は自分からは意見は言わないが、聞かれると意外にも答える。聞いて聞いて、たまに気が向いたら自分の感想を述べて、「これだ!」という話題が出てきたらそこから話を広げる。沈黙を回避するどころか意義ある会合に様変わりする。

 他にも、後輩を励ますときにどうすればいいか、助言を求められたら何をいうべきかなども興味深い。昭和のメンタリティで軽々しくアドバイスするとパワハラと訴えられかねない時代だけに、オジサンには珠玉の助言ばかりだ。

 正直、ここまでテクニックを披露していいのかと心配にもなる。もしかすると、「藤井さん、意外に計算高いのね……」と悲しくなる藤井マニアもいるかもしれないが、これまた誤解してはいけない。藤井アナは常に「誰のためか」と問い、行動している。相手のため、後輩のため、そして、視聴者のため。常に状況を俯瞰して、最悪の事態まで想定し、最適なコミュニケーションを導き出し、備える。計算はしているが自己の利益のためではない。すべての行動に「何のため」という問いがあり、行動に矛盾がないからこそ、私たちの体に彼の言葉はすっと入り込んでくる。

 本書を手に取る人は「藤井アナのような好感度が高い人になりたい」という淡い思いを少なからず抱いているだろう。確かにそのヒントは詰まっているが、ここまで読まれた方はお気づきのように、小手先では真似できない。技術を支えるのは理念だ。理念がなければ単なる独りよがりに陥ることを本書は教えてくれる。

 藤井アナは一日にしてならない。私もあなたも好感度はすぐには上がらない。まずは「なぜそれをやるのか」と日々の生活で自問することから始めたい。

新潮社 波
2022年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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