マンボウやしろの初小説は「いま出さないと意味がない」25通りのコロナ禍を描いた短編集

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あの頃な

『あの頃な』

著者
マンボウやしろ, 1976-
出版社
角川春樹事務所
ISBN
9784758414159
価格
1,650円(税込)

書籍情報:openBD

マンボウやしろの世界

[文] 角川春樹事務所

 芸人としての活動を経て、演出家・脚本家として、またラジオパーソナリティとして着実に実績を重ねているマンボウやしろさん。そんなやしろさんが初めて執筆した小説『あの頃な』は、コロナ禍をテーマにした短編集だ。ファンタジー、SF、恋愛、家族小説、さらには戯曲などさまざまなジャンルの作品がギュッとつまった「びっくり箱」のような本作に描かれた、未曾有の時代に対する「マンボウやしろ的回答」とは。


マンボウやしろ

ラジオパーソナリティとして観続けてきたコロナと社会

──今回、このような形で小説を執筆しようと思われたきっかけは、どんなことだったのでしょうか。

マンボウやしろ(以下、やしろ) 二〇二〇年一月頃に「小説を書きませんか」というお話をいただいたのがきっかけです。全然自信がなかったのですが、書きたい話がいくつかうっすらとあったので、トライしてみようかな、と。そんななかで二月頃からコロナ禍が始まって……。僕はラジオのパーソナリティをさせていただいているので、仕事上、コロナ禍とも向き合わなければならなくなりました。そこで「とことんコロナに向き合った、コロナの短編集でもいいですか?」とご相談してみたら、ご了承いただけたので書き始めました。結果、書き上げるまで誰よりも「この状況を作品にする」という意識でコロナ禍を一年半過ごしてしまったので、物の見方がどんどん非人道的になっていって、メンタル的には弊害があったように思います(苦笑)。後から振り返ったわけではなく、その最中に「これを短編集にするんだ」というアプローチでコロナ禍と向き合っていたので。

──ラジオ番組をやられていると、さまざまな情報やリスナーさんの声を耳にされますよね。コロナ禍が始まってからはつらいこともたくさん聞かれたと思いますが、だからこその気づきや経験が、この作品に還元されているのではないかと感じました。

やしろ コロナ禍になって、ラジオは本当にしんどかったですね。どんな時代でもつらい思いをしている人はいるんですが、苦しい思いをしている方がバンと増えましたし、そういった人たちの声がSNSやラジオにはダイレクトに来ましたから。それを受け止めるのも、クレームを喰らうのも、想像するのもつらい。「うう っ……」っていう気分のときが何ヶ月かありました。 僕はこのコロナ禍を、超俯瞰して客観的に見続けていたんです。「そもそも世界はなんでこれで騒いでいるんだろう」「どこで何が起きているんだろう」「何が僕の作品につながるんだろう」というように、いいとか悪いとかを一切考えずに書いていました。

様々なコロナのシチュエーションを繋ぐキーワード

──この作品集では「正義」「正解」という言葉がキーになっているように感じました。人生の正解や正義というのは、十人いれば十通りあるものですが、この作品のなかでは、個々が持つ正義や正解について、否定も肯定もされていない。それは、数年後に振り返ったときに、すべての可能性があると考えていらしたからですか?

やしろ はい。コロナウイルス自体は強くないものなのに何かの陰謀で騒いでいる可能性もあれば、政府や学者さんが言っている通り、ある程度危険な感染症という可能性もある。ウイルス自体、人が作ったものなのか、自然から出てきたものなのか、もしくはそもそも存在しないとか、さまざまなことが考えられますよね。答えはまだ出ていないですから。

 二〇二〇年の春頃から、「僕はコロナのことを特に伝えたいわけじゃないし、どんな考え方の人にも違和感なく楽しんでもらいたい」というスタンスでラジオの仕事に取り組んできました。コロナはないと思っている人もあると思っている人も、両方がちょっと納得できるワードをラジオではちりばめ続けてきたんですね。だから自分のなかで「正しい」「正しくない」がどんどんなくなっていって、自分の意見そのものも消えていくというか……。ラジオとこの本がなければ、もう少しどこかの立ち位置でコロナ禍を過ごせたと思います。なので、コロナに対する感情が「無」なんですね。それはあらゆる可能性を考えた結果のことで、可能性が有りすぎて、ほぼもう無に近いんです。

──ラジオでのやさしくて面白いやしろさんと、この作品集のなかにあるブラックユーモアが効いた作品の間には、何があるのだろうと思っていました。

やしろ 僕自身には、本に書いてある部分しかないです。ラジオ番組ではいかに人を傷つけずに楽しませるか、何を言うのが最適解かということを考えて、もう本当にAI的にしゃべっているだけなんです。だから、そのストレスが全部本に向けられました(笑)。「書く」というストレスももちろんありましたが、コロナ禍が始まって世の中の批判を多く受けるようになりましたし、人の苦しみを見聞きする回数が増えたことで溜まっていったものを、書くことで発散できたように思います。 でも、執筆は沼ですね。どこまで設定したらいいのか、あと何本書いたらいいのか、この話をどのくらい詰めたらいいのか。途中で「これ、書き上がるのかな」と思いましたから。でも、「コロナ禍」と言われている最中にこの本を世に出すことに意味があると思っていて。自分の仕事、芸風、人生として、収束してから出版してもしょうがないと考えていました。

──読み手側がまだ渦中にいるうちに届けたかったということですね。

やしろ はい。渦中で苦しんでいる方も、ご家族が亡くなった方もいる。これは病気についての短編集なので、すごくデリケートなものなんです。だからこそあまりにも客観的に書きすぎて、編集者さんから「いい人の話や、救いがあったり恋したりする話も入れないと」と指摘されたとき、本当にそうですねと。お笑いでは僕の趣味をゴリゴリに入れていいですし、トークライブでは自分の思想をガンガン語っていいと思うんですけど、これは僕の思想を入れる本ではなく、「いかにしてどこかの世界線の話を一個ずつ書けるか」ということだと思っていたので。

──作品のなかでも「世界線」という言葉が何度か登場していますが、それは「ここではない別の世界」ということを意識されてのことでしょうか。

やしろ 登場人物が言う「世界線」というのは、単純に「いまのこの生活の延長線上でさ」とか「人が外を歩いていないこの世界線でさ」という、ほぼ「世界」という言葉に近いものだと思います。僕には「あの世界線を望む」とか「この世界線は嫌だ」というような感情は一切ないんです。これまでにもいろいろな可能性があったでしょうし、これからもあるし、いまも同時に進んでいるかもしれない。そんないろいろな世界線を見たいし、考えたい。だからたしかに、「世界線」という考え方が僕のなかにあるのかもしれないですね。

「あの頃な」 振り返ってみて分かる今の世界

──読者にとっては、二十五編のうちどれかひとつは「自分の世界線と似てる!」と感じるのではないかと思います。一方で、世界線に共感しづらい作品にも、人としての生き方やものごとの捉え方といったものが、ズバッと表された名文をたくさん見つけられるのではないでしょうか。最後に、このタイトルにした理由をうかがえますか?

やしろ 「あの頃な(コロナ)」っていうダジャレなんですけど、何年後、何十年後かに振り返ったとき、「あの頃な─あのコロナのとき」の後に続くのが、ポジティブなのかネガティブなのかは、まだわかりません。「あのコロナのときはまだよかったよな」という世界線のほうが強いというイメージで全編を書いています。戦争なのか災害なのか、とにかく全然違う何かが起きて、「コロナのときはよくなかった?」となるようなイメージでこのタイトルをつけました。

──まだ渦中にありながら、ちょっと先に行ったつもりの。

やしろ そうですね。たとえば皇居ランナーがマスクをしているのも、あと二十年くらいしたら「何してたんだ!?」となるかもしれない。お化け屋敷で人を触っちゃいけないとか、ジェットコースターで叫ばないように呼びかけているというニュースが、二〇二〇年の春頃にはたくさんあったんですよ。十年後にはめちゃくちゃ笑い話になるなというようなことがいっぱいあって、いまも続いている。それを集めているんです。これらが正しいか間違っているかはまだわからないですし、やっぱりこれで正しかったということもあるかもしれません。だからこそ、いま出さないと意味がないんです。

 そして、これはただの短編集ではなく、「コロナ」というものを題材にしたコンセプト短編集だと思っています。根底にあるのはタイトル通り、このコロナという現象を振り返ったときに、なんだったんだろうということ。「陰謀論だったよ」とか、「コロナがあったから新しい世界が生まれたよ」とか、「ただの病気だったよ」とか、「大事な人に気づけたきっかけだったよ」とか……。数年後に振り返ったときに何かしらの答えがあると思うんですけど、ここに答えがひとつでも提示されていたらいいなと思っています。

構成=藤原将子 写真=長屋和茂 協力:角川春樹事務所

角川春樹事務所 ランティエ
2022年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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