文芸誌から文芸評論や小説が減っている

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文芸誌から文芸評論や小説が減っている

[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)


『文學界2022年3月』(文藝春秋)

 文芸誌は純文学の専門雑誌だが、近年はどうも小説の数が少なくなってきているようなのだ。新人小説の文芸時評である『文學界』「新人小説月評」を見ると、3月号の対象作は6作、2月号はわずか3作だった。

 文芸評論は明らかに減少している。絶滅の縁に立っていると言ったほうがたぶん実態に近く、かろうじて評論の新人賞を擁していた『群像』と『すばる』も相次いで休止した。これにより文芸評論家への登竜門はいわゆる5大文芸誌から一切なくなった。

 一方で、『群像』は2年前に「文×論。」を掲げ大規模リニューアルをし、「論」をたくさん載せて分厚くなった。ただしこの「論」に文芸評論は含まれていなかったようで、ついに新人賞の休止と相成った。同誌の伝統である「創作合評」も昨年11月号を最後に誌面から姿を消しており消滅した気配が濃厚である。

 評論は増えているのに文芸評論は減っている、小説も減っているという奇妙な状態に文芸誌はあるわけだ。

 状況論を長々述べたのは今月も小説が少ないからだ。

 その中では加納愛子「黄色いか黄色くないか」(文學界3月号)が、まとまりのよい、佳作と呼べそうな仕上がりだった。加納はお笑いコンビ・Aマッソの一人で、昨年から文芸誌に短篇を発表してきた。今作は初の中篇で、本業であるお笑いを題材に選んでおり勝負に出た感がある。これまでの短篇には感心したことがなかったが、今作なら芥川賞候補の射程内だろう。

『文學界』には砂川文次の芥川賞受賞第1作が早くも掲載されている。「99のブループリント」。ううむ、これは難物だ。経済的独立と早期退職を目標とする「FIREムーブメント」に身を任せたアンドウは、金融危機を切り抜け、15キロ時価2億円の金を手にする。その「運動」を振り返った手記というかたちを採るのだが、金融経済用語で哲学思想を語る生硬な文体が目を滑らせる。参考資料が本文に組み込まれるなど構成も特異だ。だが主題は意外にシンプルなようにも見え、芥川賞受賞作『ブラックボックス』とも通じる「システムと閉塞感」といったあたりになるか。

新潮社 週刊新潮
2022年3月10日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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