『ハムネット』
- 著者
- マギー・オファーレル [著]/小竹 由美子 [訳]
- 出版社
- 新潮社
- ジャンル
- 文学/外国文学小説
- ISBN
- 9784105901769
- 発売日
- 2021/11/30
- 価格
- 2,750円(税込)
書籍情報:openBD
『ハムネット Hamnet』マギー・オファーレル著(新潮クレスト・ブックス)
[レビュアー] 南沢奈央(女優)
名作誕生へ 家族の愛
タイトルの「ハムネット」というのは、かの有名な戯曲「ハムレット」初上演の4年前に亡くなった、シェイクスピアの実の息子の名前である。私も数年前にオフィーリアを演じたことがあり、思い入れのある作品だ。だが読み終えた今、これまで見ていた「ハムレット」が脆(もろ)くも崩れ去り、現れた真の姿に呆然(ぼうぜん)としている。
本作は、わずかな史実をもとに新しい解釈を与え、400年前のイングランドに生きた一つの家族を色鮮やかに蘇(よみがえ)らせた歴史小説だ。第一部では、双子の妹・ジュディスがペストに罹(かか)り、丈夫だったはずのハムネットがなぜ死んでしまったのか、また、シェイクスピアとアグネスがどのように家族になったのか。この二つの時代が並行し、最終的にハムネットの死と誕生へ行き着く。第二部はその後の一家の運命、そして「ハムレット」誕生までの道のりを辿(たど)る。
アグネスの特別な能力のように、“気”を肌で感じられるような描写が見事だ。場所や人物から漂うオーラ、生と死。そして、冒頭の小さな家での切迫した静寂から、最後のグローブ座での静かなる熱狂へ。この世界の膨らみに読者はどんどん惹(ひ)きつけられ、感情が揺さぶられる。
著者がこの大作を紡いだ原動力の一つとして、アグネスの存在があった。残された記録を見ると、とにかく悪名高い女性として語られている。彼女が大嫌いで夫はロンドンへ脱出した、と。だが劇で成功を収めた夫は、人生の終盤は妻や子供の暮らすストラトフォードへ戻ったという事実もある。なぜここまで彼女だけがこき下ろされるのかと怒りさえも覚え、綿密なリサーチを行った上で、芯のある愛溢(あふ)れる女性として描き出した。一方で、シェイクスピアだけ名前が明かされないままなのは興味深かった。
名作誕生の秘話とも読める作品だが、あくまで一つの家族の壮大な愛の物語だ。これもまた、名作として語り継がれていくことだろう。小竹由美子訳。