『いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経』伊藤比呂美著(朝日新聞出版)

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いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経

『いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経』

著者
伊藤比呂美 [著]
出版社
朝日新聞出版
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784022517869
発売日
2021/11/05
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

『いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経』伊藤比呂美著(朝日新聞出版)

[レビュアー] 梅内美華子(歌人)

詩のリズム感 仏典新訳

 伊藤比呂美はお経に詩を感じ、「語り物としての形」を見いだした。『読み解き「般若心経」』では、古代インドで修行者が町の辻々(つじつじ)で語って歩いたという背景に想を得て「般若心経」を戯曲ふうに現代語に訳した。それから11年、本書は「阿弥陀(あみだ)経」「法華経」など日本の信仰や文学に深い影響を与えた仏典の新訳を収録する。伊藤の訳はセンテンスが短く明解である。長年の詩の朗読で体得したリズム感によるのだろう。本書には朗読を収めたCDが付いている。

 現代は葬式仏教になり帰依する心や罪業意識は昔の人とかけ離れてしまった。だが本書に取り上げられた恵心僧都源信の「白骨観」を読むと私たちも思い当たるところがあるはずだ。「白骨のうえに 着ものを着こみ 白骨のくせに むちゅうになって 世間を渡っていくけれども いつまでもこの世にあるわけじゃない。 どんなに頼りたくとも頼りにならないのは 薄皮いちまいかむった この白骨さ」。現世の欲の後にあるのは死しかなく、成れの果ては冷たい虚無なのだ。

 著者が仏教を探求するようになったのは、病んで老いゆく両親がただ死を待つのは苦しいだろう、何かを伝えたいと考えたからだという。お経の間に置かれているエッセイには親しい人を見送った後の日々も綴(つづ)られている。死後の母の吸い込まれるような冷たい頬。遺品の鏡台の覆いの布や抽斗(ひきだし)の底に敷かれた百貨店の包装紙。カリフォルニアの海に孫たちと撒(ま)いた父の骨。夫が死んでから思い出す一緒に食べたスープの数々。石牟礼道子が回復したいと願った「春の小川」。動物の死骸に残っていた尻尾とその死臭がついた飼い犬。草や鳥の名、夜明けと日没の深い色。暮らしや自然の細部を描けば描くほど切なさと可笑(おか)しさが滲み(にじ)出てくる。

 「いつか死ぬ、それまで生きる」は仏陀最後の説法の一節。エッセイに描かれているのも有限の生の真実といとおしい光景である。

読売新聞
2022年3月4日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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