第34回 小説すばる新人賞受賞記念エッセイ 受賞作「コーリング・ユー」不審者の幸福

エッセイ

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コーリング・ユー

『コーリング・ユー』

著者
永原 皓 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087717877
発売日
2022/02/25
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

第34回 小説すばる新人賞受賞記念エッセイ 受賞作「コーリング・ユー」不審者の幸福

[レビュアー] 永原皓(作家)

不審者の幸福

永原皓
撮影=織田桂子

 TVや雑誌でどなたかのインタビュー風景などを拝見すると、背景が書棚である確率はわりと高い。あれはなぜなのだろう。ご本人の選択か。それとも撮影側が、「あっ、そこなんか、いい画になりますね」と判断するのだろうか。
 私などはご本人よりもその蔵書の内容につい気を取られ、さすが難しそうなご本を読まれるんだなあとか、おっと節税対策の本がチラ見え、とか、超余計なお世話の観察をしてしまう方なのだが、自分自身の書棚は写されたくない。支離滅裂だから。
 以前、書き出した小説のある箇所の「裏を取る」ため、『世界屠畜紀行』と『銃の科学』を買おうとしたら、レジで店員さんの顔から笑みが消えた。(経費に出来る見込みなど無かったが)いちおう「領収証を」と言うと、(ああ、仕事か)と明らかに安堵された。丸顔のおばさんが無表情に屠畜と武器の本をセットで買いに来たら、それは確かに「この人、何者」と彼が思ったとしても不思議はあるまい。
 しかし、チョイスは支離滅裂であろうが、何かを感じた本は「とりあえずゲット」なのだ。店頭の新刊はすぐに入れ替わる。それが自分に買えないくらい高い本だったら、書名を覚えておく。家に帰って、近くの図書館にあるかを検索する。なければ、古書を探すしかない。
 なぜそうするのか。自分の書く小説を僅(わず)かでもマシにするためだ。私がいつか書きたいと願うような物語は、私の頭の中にあるものだけでは絶対に書けないのだ。
 そして、「とりあえずゲット」は本だけにとどまらない。

 海外旅行などすると、私の画像フォルダには変な写真が溜まる。名所やインスタ映(ば)えなスイーツも撮らないではないが、標的はむしろ、現地の郵便配達のバイクだったり、警官の後ろ姿だったり(制服男子の背中っていいですよねえ)、窓の構造だったりする。昨今ではネットで森羅万象(しんらばんしよう)を追えるような印象もあるけれど、私のような情弱には、本当に知りたい情報は案外見つからない。
 ある日、東京都庁の屋上と非常階段の構造を知りたくなった。今では現地の動画をそれこそネットで観られるが、当時は確認出来なかった。ならば行くしかない。都庁へと向かい、展望室まで上がった。もちろん一般客は屋上までは出られなかったのだが、そのフロアに建物のミニチュアがあり、俯瞰(ふかん)的にじろじろ見た。なるほど。では、非常階段の方はどうか。隅の方にそれらしきドアがある。が、非常階段(? )のくせに、脇に暗証番号用のパッドなんか付いてるではないか。一階分くらい実際に下りてみたかったのに。どういうシステムなの、これは? 観察していると、警備員さんが寄ってきて、「何か? 」と訊いた。別に警備員さんでなくたって訊きたくなるだろう。私は日本語がわからない振りをして、ただニコニコと逃げた。
 ことほど左様に普段から、私の行動の半分はまるで不審者である(残り半分は、尋常に勤め人をしているつもり)。なぜか。自分の書く小説を僅かでもマシにするためだ。
 思い返せば小学生の頃から、私はたぶんそういう、「何か書いてみたいなあ」と夢見る人だった。そのためにこそ、いつも半分不審者で生きてきたような気がする。
 もちろん、少しばかり読んだり見たりしておいたからといって、それだけで小説が書き上げられるはずもない。私如(ごと)きが偉そうに言うまでもなく、小説とは知識だけで成立するものではないからだ。少なくとも私の場合、「ゲット」しておいた情報もほとんどは使わずに終わる。でも、それらがすべて無駄だったというふうには思わない。結果的にではあっても、「世界とはこんなにも広く、深い」ということを、いつも思い知らせてくれる経験でもあったからだ。
 今回賞を頂いた「コーリング・ユー」は、シャチの捕獲を巡る話を聴いたところから始まった。そこから鯨類に関する本を何冊か読むうちに、同じジョークに二度出くわした。
「ナガスクジラが五頭いれば、太平洋横断の伝言ゲームが出来る」
 かの業界ではメジャーな冗談なのだろうか。それにしても、なんて壮大な……。
 宙に目を据えてうっとりし、そして自然と考えた。
「その伝言ゲームで、彼らは何を伝えようとするだろう? 」
 海の果てまでも伝えたいことって、いったい――? 
 キャラクターたちは、すぐに動き出した。彼らそれぞれが生きる世界について調べることは、彼らに寄り添い、その体温を感じるという作業でもあった。
 形になんて出来るのか、それはいつだってわからずにきた。けれども「自分の小説を」と夢見る人生で自分は幸せ者だと、ランドセルを背負ったあの頃から、私は思っていた。

永原皓
ながはら・こう●1965年長野県生まれ

青春と読書
2022年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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