研修医配属や学校選択、保育所の待機児童など、社会で生じるミスマッチを解決する……実践のための第一歩を踏み出そう!

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

基礎から学ぶマーケット・デザイン

『基礎から学ぶマーケット・デザイン』

著者
川越 敏司 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/経済・財政・統計
ISBN
9784641165939
発売日
2021/12/18
価格
2,640円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

研修医配属や学校選択、保育所の待機児童など、社会で生じるミスマッチを解決する……実践のための第一歩を踏み出そう!

[レビュアー] 川越敏司(公立はこだて未来大学複雑系知能学科教授)

 中学の頃、マイコン部に所属していた。部活といっても、授業の一環として生徒全員がいずれかに所属しなければならない必修クラブというものだった。マイコンに詳しい英語教師が毎回BASIC言語の解説をし、自宅にマイコンを持っているという一人の生徒が代表してコードを打ち込み、わたしを含めた他の生徒が後ろから見ているだけという、今思えばなんとも情けない部活動であった。

 それでも、わからないなりにマイコンへの興味がわいて、書店で雑誌などを立ち読みしながら、いつか自分のコンピュータを手に入れたいという願いを抱くようになった。とはいえ、当時はとてもお小遣いで手に入るような代物ではなく、高校時代に手に入れたのは関数電卓に毛が生えたようなポケット・コンピュータだった。それでも、簡単なプログラムを書くことができ、プログラミングの何たるかを理解できるようになったのは幸いであった。

 また、中学時代は歴史が好きで、当時、六角形のマス目で区切られた地図上で緻密なルールに従って軍隊を動かすシミュレーション・ウォー・ゲームと呼ばれるものに熱中していたわたしは、『孫子』やクラウゼヴィッツ『戦争論』、リデル・ハート『戦略論』といった軍事理論書を読みふけるうち、歴史の発展を決める法則とは何かについて考えるようになっていた。

 そのような折り、ちょうど高校1年生の夏休みに、わたしはマルクスの『資本論』を読んだ。偶然、マルクスが唯物史観を唱えて歴史の法則を明らかにし、『資本論』を通じて資本主義が社会主義へと必然的に変わっていくことを証明したという記事を読んだためである。マルクスを通じて、経済こそが歴史を動かす原動力であることを知ったわたしは、将来は経済学を研究することを決意した。特に、『資本論』第2巻に記された再生産表式論に興味を引かれた。これは、現在の産業連関表の原型になるものだが、経済の運動法則を要約した数学的理論として、これを徹底的に理解すれば、歴史の運動法則がわかるはずだと思ったのである。

 ところで、わたしが中学・高校時代に愛読したSF小説の中に、アイザック・アシモフの『ファウンデーション(銀河帝国の興亡)』シリーズがある。その作品では、銀河帝国の未来を科学的に予言する心理歴史学という学問を提唱したハリ・セルダン博士という人物が、手のひらに乗るような小型計算機で仲間と議論する場面がある。

 それはわたしにとって啓示であった。いま、自分の手元にあるポケット・コンピュータにマルクスの再生産表式と正しいデータを入力しさえすれば、自分も日本経済の将来を予言できるようになるかもしれない……もちろん、それは子供らしい空想であった。当時のポケット・コンピュータにそれだけの処理を行う能力はなかっただろうし、そもそも再生産表式論自体が、後から見ればかなり限定的な仮定の下に成り立つ理論だったからである。

 それでも、経済学がわたしたちの住むこの社会の運動法則を明らかにし、それを手元のコンピュータで正確に予言できるようになるのではないかという夢は、その後のわたし自身の研究生活の原動力となっていく。

 大学時代には、様々な理由でマルクスも含めて経済学の研究からはしばらく遠ざかっていたが、興味が再燃したのは、たしか大学3年生の時にフェルドマンの『厚生経済学と社会的選択論』に出会ってからである。

 この本は、社会的選択理論やメカニズム・デザイン論の入門書として、いま読んでも大変優れたテキストである。この本は、一般均衡理論の要約から始まって、様々な所得再分配基準の検討を経て、各経済主体の持つ選好(希望順位)を適切に集計する投票方式はありえるかという問いへと至り、アローやギバード=サタースウェイトの不可能性定理の簡潔な証明を示すという内容になっている。理想的な投票制度はどのように設計しようとしてもそれは不可能であるという結論は衝撃的なものであった。そこで、こうした不可能性定理をどうやって乗り越えていくかを自分の課題にしようと決意し、大学院進学を決めた。

 大学院で最初に取り組んだのは、「投票のパラドックス」発生確率の研究である。ここで、投票のパラドックスとは、フランス革命時代に活躍したコンドルセが示したもので、候補者を二人ずつ多数決投票にかけていくと、最後まで勝ち進む候補者は、どの二人の候補者から比較を始めるかによって変わってしまうため、多数決投票には首尾一貫性がないという問題である。そして、社会的選択理論におけるアローの不可能性定理は、このパラドックスをより一般的な枠組みで数学的に示したもので、首尾一貫した結果を生む民主的な投票方式は独裁制しかありえないということを示している。

 しかし、毎回の投票でパラドックスが生じるわけではない。実際には投票者の選好がある特定の組み合わせの場合にのみ生じる。社会的選択理論は、すべての選好の組み合わせについてパラドックスが生じないことを要求しているが、パラドックスを生じるような「例外」がごくわずかなら、実際上は問題とならないだろう。そこで、投票のパラドックスの発生確率を検討しようと思ったのである。

 しかし、その研究を続ける中で、もう一つの重要な問題が気になり始めた。それは、ギバード=サタースウェイトの不可能性定理に関係することであるが、戦略的操作の問題である。例えば、選挙において、自分自身の選好(希望順位)を偽ることによって投票結果を自分によってより好ましいものに誘導するような戦略的行動へのインセンティブを防止できるかどうか? という問題である。ギバードとサタースウェイトはそれぞれ独立に、一般的にはこうした戦略的操作を防止できるような(耐戦略性を満たす)メカニズムは独裁制にならざるをえないという不可能性定理を証明している。

 もちろん、各主体の選好が特定のタイプに限定されている場合には、独裁的ではない耐戦略的なメカニズムが設計可能である。そのわかりやすい代表例は2位価格オークションである。

 2位価格オークションでは入札者が同時に価格を提示し、1番高い価格を提示した入札者が落札するが、支払う価格は2番目の価格でよいという方式である。この2位価格オークションでは、各入札者は正直に自分自身の選好(財に対する評価)を入札するのが最善である。落札する確率を高めようと思えば入札価格を高くするのがよいが、自分の評価以上の価格を付けて落札した場合、2位の価格が自分の評価以上ならば損をしてしまう。そこで、自分の評価に等しい価格を入札しておけばそうした損失を被ることなく落札確率を最大化できる。2位価格オークションは、古くは切手愛好家の通販などで利用されていたが、現在ではヤフオク!などのネットオークションでもその基本部分で使用されている。

 耐戦略性を満たす他のメカニズムの例を挙げよう。大学では3年生や4年生になると卒業研究を行うために学生は所属したい研究室に対する希望順位(選好)を提出する。各研究室はそれぞれ定員の範囲で、希望している学生を評価が高い順に採用していく。このような配属を巡る問題はマッチング問題と呼ばれている。

 こうしたマッチング問題でも耐戦略的なメカニズムが知られている。それは受入保留方式と呼ばれるもので、次のような手順(アルゴリズム)で配属を決定する。各学生はまず第1希望の研究室に応募する。各研究室は応募してきた学生のうち評価の高い順に定員まで「仮採用」する。この仮採用は後で変わる可能性があることに注意してほしい。第1希望で仮採用されなかった学生は第2希望の研究室に応募する。各研究室は第2希望で応募してきた学生と、すでに仮採用している学生、その全員の中から評価の高い順に定員まで仮採用を「し直す」。以下同様に続けていく。この方式では、学生は自分の配属結果を良くするために選好を偽っても仕方がない。というのは、受入側の研究室はいつでも応募してきた中で最良の学生をキープできるため、学生が応募する順番をどのように工夫しても、最終的に採用される学生は変わらないためである。

 受入保留方式は、わが国では医学部を卒業した学生がインターン先を決める研修医マッチングなどにも利用されている。このような比較的規模の大きなマッチングでは、実際に配属を決める際にはコンピュータのプログラムが利用される。

 本書『基礎から学ぶマーケット・デザイン』では、投票、公共財、オークション、マッチングといった話題を例にして、こうしたメカニズム・デザインの基礎について解説し、そこで紹介されているメカニズムを読者が自分のパソコンで実行して確かめることができるようプログラムが提供されている。

 これらのプログラムは、マルクスの再生産表式論やハリ・セルダン博士の心理歴史学のように人類の歴史の趨勢を占うといった壮大なものではない。しかし、理論的に考えるだけでなく、自分の手でプログラムを動かすことで見えてくるものがある。インターネットやスマートフォンが当たり前のように日常にある現代の子供たちに、経済社会の問題を自分の手のひらの上で研究できるようになった喜びを味わってもらいたいものである。

 また、経済学の社会実装ということで、こうした研究の成果をビジネスに生かそうとする企業も増えている。本書に記されているのは基礎的な内容ばかりなので、各企業や組織の個別の問題解決には専門家による「オーダー・メイド」のコンサルティングが必要であろうが、本書で提供されている「レディ・メイド」の処方箋もきっと役立つものと期待している。

有斐閣 書斎の窓
2022年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク