スポーツ鍛錬の場か、娯楽施設か? 取材と歴史発掘で説く野球民俗学

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

日本バッティングセンター考

『日本バッティングセンター考』

著者
カルロス矢吹, 1985-
出版社
双葉社
ISBN
9784575317015
価格
2,035円(税込)

書籍情報:openBD

スポーツ鍛錬の場か、娯楽施設か? 取材と歴史発掘で説く野球民俗学

[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)

 いま住んでいる町に移ってきたのは当時の職場に近かったからだが、「屋内釣り堀とバッティングセンターのある町」が好きだったからでもある。両方とも、見知らぬ人同士が不思議な連帯感でつながる場所であったが、今はもうない。

 バッティングセンター(以下BCと表記します)とはいかなる存在であるか。これは、その問いに答えようとする「野球民俗学」の本である。日本各地でBCを経営する人たちへのインタビューや、BCの歴史発掘などを通じ、BCがわれわれの情緒を刺激する理由にせまる。

 BCは、アメリカでは純粋な「打撃練習場」であり、野球経験者以外には敷居が高すぎる。逆に韓国では娯楽施設であり、スポーツの練習をする場所ではない(両方とももちろん例外はある)。繁華街をはずれたところにあり、一杯飲んだサラリーマンが帰宅前に憂さ晴らしの仕上げをするような、でもその隣では親に連れられたユニフォーム姿の子がいっしんに打撃練習をしているような、あのしっとりした情緒は日本のBCにしかないのかもしれない。

 世の流行につれ、BCも大きく数を増やしたり減らしたりする。ボウリング場がばたばたと倒れたときには増え、サッカーJリーグの発足で若者をもっていかれたときには減った。現在はコロナ禍もあり、全体として衰退傾向にあるのは確かだろう。しかしBCは各地で奮闘している。大震災で野球少年たちが姿を消した町に灯りをともそうと気仙沼に開業したBC、台風被害でいったん閉めたが復活を望む声に後押しされて再開した「石垣島に一つだけ」のBC。インタビューを読むと、BCは「地域とともにある」ことに存在意義も運営のやりがいもあるように感じる。ふだん接触する機会のない人々と顔見知りになったり、ときには会話もかわす。BCに限らないが、そんな場所を増やしていくことがわれわれの社会を強くするのだ。

新潮社 週刊新潮
2022年3月17日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク