身を売った金で父母を供養する「闇の女」

レビュー

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問はずがたり・吾妻橋 : 他十六篇

『問はずがたり・吾妻橋 : 他十六篇』

著者
永井, 荷風, 1879-1959
出版社
岩波書店
ISBN
9784003600368
価格
891円(税込)

書籍情報:openBD

身を売った金で父母を供養する「闇の女」

[レビュアー] 川本三郎(評論家)

 書評子4人がテーマに沿った名著を紹介

 今回のテーマは「墓」です

 ***

 娼婦が両親の墓を作る。

 永井荷風「吾妻橋」は戦後の混乱期の浅草を舞台にした短篇(一九五四年)。

 町にはまだ娼婦たちが多く立っていた時代。素人の女性より玄人の女性に関心を持つ荷風は、そうした街娼を主人公にした。

 道子という女性は毎夜、隅田川に架かる吾妻橋に立って客を引く「闇の女」。年齢は二十代のなかば。

 南千住の裏長屋に住む大工の娘。父親は空襲で亡くなった。母親と共に残されたが生活は苦しく、十八歳の時に戦後出来た小岩の遊興の地に身売りした。

 その後、結婚したがうまくゆかずまた身体を売るようになった。

 道子は「男には何と云うわけもなく好かれる性質の女」でよく稼ぐ。紙入れには百円札や千円札があふれ郵便局に貯金もする。

 お盆の頃、ふと松戸の寺に葬られた母親のことを思い出す。まだ墓がなかった。

 寺を訪ね、住職に母親の墓を作りたいと相談する。墓石には五、六千円かかるという。

 道子は「一晩稼げば最低千五、六百円になる身体」。母の墓を作ることにする。空襲で遺体が分からなくなっていた父親の墓も。住職はその孝心を誉める。

 娼婦という世をはばかる身の女性が、両親の墓を作って供養する。荷風は彼女の殊勝な心に惹かれている。

 ちょうど『ぼく東綺譚』で玉の井の私娼のなかに、泥沼に咲く蓮の花の美しさを見たように。

 ちなみに荷風は墓参を愛する掃苔趣味があった。

新潮社 週刊新潮
2022年3月17日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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