戦争協力への反省に基づく宗教者による平和運動史

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戦後日本の宗教者平和運動

『戦後日本の宗教者平和運動』

著者
大谷 栄一 [編集]
出版社
ナカニシヤ出版
ジャンル
哲学・宗教・心理学/宗教
ISBN
9784779516023
発売日
2021/11/19
価格
3,960円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

戦争協力への反省に基づく宗教者による平和運動史

[レビュアー] キリスト新聞社

 「ポスト戦後社会」ともいわれる現代。「宗教」という観点から戦後社会を問い直し、アジアとの関係にまで視野を広げてトランスナショナルな平和運動の歴史を振り返る。

 序章では編者の大谷栄一氏(佛教大学社会学部教授)が、本書の趣旨と各章の概要を解説する。戦後日本の宗教界の平和への取り組みは、戦前の戦争協力への反省、すなわち戦争責任に根ざしたものとして始まった。その嚆矢は、日本基督教団(以下、日基教団)によって1967年に公表された「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(いわゆる「戦責告白」)であるが、敗戦から22年後のことだった。仏教教団による戦争責任の表明は、1987年、真宗大谷派の「全戦没者追悼法会」によって示された。これらは一定の評価を受けているが、戦後日本の戦争責任論の動向からすれば、相対的に遅い。

 序章に続き、第1部では仏教と平和運動、第2部ではキリスト教と平和運動、第3部では大本教など新宗教と平和運動について論じられ、第4部では国境を越える平和活動を紹介。第2部第3章で一色哲氏(帝京科学大学医療科学部教授)は、日基教団の動向を中心にキリスト教界の戦争協力と戦後平和運動について論考する。敗戦後、日基教団が混乱する中、マッカーサーが着任してキリスト教による宣撫を行い、キリスト教界では「新日本建設キリスト運動」が繰り広げられ、国内では内閣主導で「国民総懺悔運動」が展開された。

 「さて、この運動で日本のキリスト者や国民は、なにをだれに対して『懺悔』したのだろうか。この『懺悔』は戦争協力への真摯な反省を決して意味するものではない。(中略)『懺悔』とは、天皇に対して『申し訳ない』といった感情から行ったものではないだろうか。これら国家・国民の動向とキリスト教界の行動は矛盾していなかった。八月十五日の敗戦から約二週間後には『キリスト教国』米国による占領体制がはじまり、戦後復興のための国民運動に先頭に立つことになった日本キリスト教界の指導者たちには、戦中に行ってきた戦争協力への反省をする暇も意思もなかったといえる。日本のキリスト教界の戦後は、こうして、“反省なき出発”となった」

 日基教団の戦後処理が進むのは1960年代になってからで、東アジアの諸教会との関係回復を目指したことがきっかけだった。1965年、日基教団は韓国基督教長老会第50回総会の招待を受け、大村勇総会議長が訪問したが、同総会は大村議長の挨拶を受けるか否かで紛糾し、三時間も議長を会場の外で待たせた。最終的に議長は中に迎えられ、日本が過去に犯した罪を謝罪し、教団からの祝辞を述べたが、このような体験が「戦責告白」へとつながっていく。1966年、東京神学大学で開催された教師講習会で、若手伝道者がアジアの諸教会への謝罪と和解をめざす問題提起を行い、翌年、鈴木正久日基教団議長名で「戦責告白」が発表された。その中には戦時中に日基教団がアジアの諸教会に犯した「罪」について神への告白がなされていた。しかし一方で、日基教団内には、教団の戦争責任を認めず、「戦責告白」に反対する人々もいた。

 第5章では川口葉子氏(東京基督教大学国際宣教センター研究員)が、1960~70年代の「政治の季節」におけるキリスト者平和運動の紆余曲折をたどる。「キリスト者平和運動がめざした『平和』は、その時々の社会運動に加わる中で、その政治的立場に基づいて意味が付与されるものであり、それによる拡大と分断を繰り返しながら、平和運動は進んできたのである」

 第4部第9章で山本浄邦氏(佛教大学総合研究所嘱託研究員)は、釜山・峨嵋洞の旧日本人墓地を媒介とした新たな日韓コミュニケーションについて報告する。古くから日朝交易の窓口であった釜山は、近代に入り日本の植民地下で多くの日本人が暮らす都市として発展した。1945年、日本の敗戦で朝鮮は独立を果たし、釜山に住んでいた約5万人の日本人は引き揚げを余儀なくされた。峨嵋洞にあった日本人墓地の墓石などは放置され荒廃。そこに朝鮮戦争が勃発し、釜山に避難民が押し寄せた。彼らは残留した墓石を建材として用い住宅を建設した。1966年、峨嵋洞に位置する大成寺の住職が夢のお告げを受けて、日本人の墓石を境内に移して法会を行うようになった。やがて先祖の墓を探して日本人子孫が訪れ、交流が始まった。

 「その空間では旧日本人墓地の『死者』が媒介となって、単純化された日韓のナショナルな歴史に回収しきれない人々の記憶、故郷と引き裂かれた個人の歴史が出会い、共感し、さらには非体験者へと 共感の輪が広がってゆくことで、日韓のナショナルな境界を超えた新たなコミュニケーションが行われている」

 大谷氏によれば、戦後日本の宗教者による平和運動史の研究は未開拓の分野の一つだという。本書を契機により一層の研究が進めば、多くの収穫が得られることだろう。

キリスト新聞
2022年2月28日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

キリスト新聞社

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