「えっ、なんで?」っていう疑問が、まず――高佐一慈(ザ・ギース)初小説を語る(1)

インタビュー

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かなしみの向こう側

『かなしみの向こう側』

著者
高佐一慈 [著]
出版社
ステキブックス
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784434300783
発売日
2022/03/03
価格
1,430円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「えっ、なんで?」っていう疑問が、まず――高佐一慈(ザ・ギース)初小説を語る(1)

[文] ステキコンテンツ合同会社

 2004年の結成以来、4度にわたり『キングオブコント』のファイナリストとなるなど、注目を集め続けるコントユニット「THE GEESE(ザ・ギース)」。テレビ・ライブ等で活躍する、ザ・ギース・高佐一慈(たかさ・くにやす)さんが、新たに文芸の世界にも活動の場を広げます!

 3月3日に刊行された初の短編小説集『かなしみの向こう側』(ステキブックス)は、THE GEESEだけでは表現しきれなかった高佐さんの内なる世界を垣間見せてくれる1冊です。

 今回の出版のきっかけを作った小説家・中村航さんによる高佐さんへのインタビューを敢行し、さらなる内面を探りました!!

「えっ、なんで?」っていう疑問が、まず……。

中村航(以下・中村):僕はもともと、THE GEESEのコントが大好きで、ライブとか見させていただいたりしてたんですけれど……。

高佐一慈(以下・高佐):はい、ありがとうございます。

中村:なんと「中村航が選ぶ小説を書いてほしい芸人」の第1位に高佐さんが選ばれたんですよ(笑)。おめでとうございます!

高佐:(笑)。まったく知らないところで(笑)。

中村:そういうコンテストが行われていたんです、実は。

高佐:なかなか1位になることもないんで(笑)。ありがとうございます。

中村:僕が「ステキブックス」という出版社を作ったというのもあって、お声がけをさせていただいたというのが今回の小説出版のきっかけになりまして。

高佐:中村さんも出版社を起ち上げて大事な時期でしょうし、「本当にいいんですか?」っていう気持ちでした。

中村:でも、わりとふたつ返事でというか……。

高佐:いや、そんなでもなかったんじゃないかな。

中村:あれ、どんな感じでしたっけ。

高佐:2020年の12月に、突然……長文のメールをいただきまして。

中村:(笑)。

高佐:中村さんと、椎名さん(しーなねこ)のおふたりの、それぞれの気持ちを綴ったものをいただきまして。

中村:高佐さんとは、飲みに行ったりしたこともあって、だから僕の名前だけで送ってしまうと、断るときに、断りづらいかもしれないと思ったんですね。

高佐:ああ、はいはいはい。

中村:だからなるべく、「無理だったら断ってくれても全然いいですよ」っていうつもりで、椎名さんと連名にしたんです。

高佐:あ、そうだったんですか?

中村:椎名さんに返事をすればいいじゃないですか、断るときには。そういう配慮のもとお送りしたんですが……でもそんなに長文でしたっけ?

高佐:中村さんからの文面があって、それに続いて椎名さんの文面が……連名の形であって。

中村:意外と重いですね、そうやって聞くと(笑)。

高佐:いえ(笑)。おふたりの気持ちが伝わるものだったので、ありがたかったんですけれど。

中村:いきなりそんな怪文書が届いて、どう思われたんですか?

高佐:率直な気持ちは……「えっ、なんで?」っていう疑問が、まず……。

中村:そうですか? でもいまってやっぱり、芸人さんにはそういうオファーは多いんじゃないですか?

高佐:たしかに2020~2021年と、いろんな方が小説を出版されてますね。でも、僕にそんな話が来るとは、露ほども思わなかったです、はい。

中村:THE GEESEでは、コンビの尾関高文さんが書籍を出されてるじゃないですか? 高佐さんも「じゃあ、なにかを」って思ったことはないんですか?

高佐:まったく考えてなかったですね。そういうところにそのお話をいただいたので、「嬉しい気持ちと不安な気持ちがふたつ同時にあるので、ちょっとマネージャーに相談させてください」とお返事して。まあ……とにかくひと晩考えましたね。もちろん小説は好きで、まあ、ものすごく読んでらっしゃる読者家の方と比べればそれほどでもないですが……。

中村:いやでも、お話を伺うとかなりの読書家ですよ。

高佐:そうですか? でも作文とかもすごい苦手だったので……。でも、好きは好きだったので、そのときは文章を書いてもいなかったですけど、「書くことになるかもしれない自分」みたいなものにちょっと戸惑いましたね。


書くことになるかもしれない高佐

はじめて書いたのは――コントとか漫才のネタです

中村:ちなみに幼少期など、なにか書いたことってあるんですか?

高佐:作文くらいです。読書感想文とか。

中村:じゃあ、はじめて書いたのは台本であったりとか……。

高佐:まあ、ネタですね。はじめて書いたのは高校の……何年かなあ……1年か2年のときだったと思うんですよねえ~。それはほんとにコントとか漫才のネタです。

中村:学園祭用?

高佐:学園祭とかまったく関係なく、ただ書きたいなと思って。クラスの友だちにそれを書いたルーズリーフを1枚渡して、隣でクスクス笑ってるのを見て「しめしめ」みたいな感じで(笑)。

中村:(笑)。おもしろかったんですか? 「おもしろかったんですか?」って聞くのもなんだけど(笑)。

高佐:いやあ、どうなんでしょうかね? でもそのときは、いまのくりぃむしちゅーさん……当時は海砂利水魚というお名前でしたが……とか、おふたりとも他界されてしまったんですがフォークダンスDE成子坂さん、爆笑問題さんたちのネタが好きだったので、それをイメージして書いてる感じでしたね。

中村:『ボキャブラ天国』的なものってことですか?

高佐:『ボキャブラ』っていうか、その方たちがやってるコントとか漫才を見て、その方たちを頭の中で動かしてるようなイメージで……。

中村:あ、じゃあ、演者は自分っていうことではなかったんですか?

高佐:演者は自分ではなかったですね。

中村:へえー。見てみたいですねえ、それ。

高佐:いやあ、たぶんとてつもなくつまんないと思いますよ(笑)。……いや、どうだろうなあ……わかんないですけど。

中村:「つまらない」ってことは、「いま読んだらおもしろい」ですよね、きっと(笑)。

高佐:いやいやいや、ほんとに、ちょうどよくつまんないと思います(笑)。……それで、高校3年のときに学園祭でコントをやることになって、それではじめて書いた感じですね。全然ウケなかったですけど。

中村:でも高校とか中学のときから、すごくお笑いが好きだったんですね?

高佐:そうですそうです。中学3年くらいから、もう「芸人になろう」って思ってました。そのときいちばん仲良かった友だちを……札幌よしもとができたくらいだったのかな、とにかく札幌に吉本興業があるらしいっていう情報を仕入れたので、ちょっと誘ってみたんですよ、「お笑いやらない?」みたいに。すぐに断られましたよ。「俺はお笑い好きだけど、堅実な道を行くから」って。いま考えると、すごくしっかりしてるなって思うんですけど(笑)。

中村:そのふたり(高佐さんと友だち)っていうのは、クラスを沸かせる存在だったんですか?

高佐:いや、沸かせてないですね。隅のほうで……誰かを笑わせているってことはなく、ふたりで「これおもしろいな」って言ってる感じでしたね。

中村:お笑い好きの陰キャ、みたいなことですか?

高佐:そうですね。うん。

中村:でも高佐さんって、はっきり言って、美少年だったんじゃないですか?

高佐:美少年ではないです(笑)! 変なヤツです、僕は。いわゆる、「クラスの人気者」タイプじゃなかったですし、なんですかね……。家が塾を経営していたので、勉強はできたんですよ。だから「勉強できる子」みたいな捉えられ方をされていたと思います。

中村:でも、勉強できる子は、あまり中学3年生でお笑い芸人になろうとは思わない気がするんですけど(笑)。

高佐:だから実際に東京に来て芸人になったら、そのころの同級生とかは本当に驚いてました。「かっこいい!」って思っちゃったんですよね。「自分もやりたい!」って思ってしまったんで。

中村:それはダウンタウンとか?

高佐:そうですそうです。ダウンタウンさんからいろいろ派生して、それこそさっき挙げた『ボキャブラ』ブームだったころの、ネタのおもしろい方たちにも憧れました。……その唯一仲良かった友だちに6つ上の兄貴がいて、そのお兄さんからお笑いの情報を仕入れてきて、そいつが僕にも教えてくれていろいろ情報を得たり、とか。千原兄弟さんとかジャリズムさんとか……。僕が住んでたのは北海道の田舎だったので、ライブなんてもちろんないですし、お笑い番組もほぼほぼやってなかったから、もうTSUTAYAでその方たちのビデオを借りて……っていう。

中村:ああ、そういう時代でしたね。ビデオで観てましたね。

高佐:千原兄弟さんのビデオを何回も借りては返し借りては返ししてましたからね。

中村:へえ~、なるほど。それで高校は名門校の函館ラ・サール高校というと、全道中から頭のいい子が集まってきますよね。確か、男子校?

高佐:男子校です。

中村:そんな中で、ネタ台本書いて隣の子を笑わせたり、学園祭に出てスベッたりしてたんですね。学園祭でスベッたときは、お笑いを諦めようとは思わなかったんですか(笑)?

高佐:う~ん(笑)。思わなかったですね。「こんなもんなんだろうなー」って、「ウケないもんなんだろうなー」って思ってましたね。

中村:そのときは漫才ですか、コントですか?

高佐:僕が自分でやったのはコントで、漫才の台本を書いてやってもらったのもあります。

中村:お~っ、他人にやらせた、と。

高佐:やらせたって言うより、「ネタがない」って言うから、「じゃあ、ちょっとこれどうかな?」みたいなことです。

中村:コントのタイトルはどんなものだったんですか?

高佐:コントは『服屋』でしたね、たしか。店員がボケでお客さんがツッコミだったかなあ……。

中村:おもしろそうですね(笑)。

高佐:そうですか(笑)!? 服屋の設定なんて腐るほどありますよ(笑)。

中村:高校生の高佐さんが考えたコントなんて、すごく興味が(笑)。でも、そういう風にビデオ見たりして研究して、こう……。

高佐:研究ってほどではなく、ただ好きだったので真似事みたいな感じでやってただけですね。


真似事みたいな感じでやってただけの高佐

自分からアクションを起こすことは少ないかもしれないですね。

中村:高校時代、お笑い芸人になりたいと思いながら、名門大学に進学されたってことは、勉強ができたってことですよね。

高佐:でもラ・サールに入ったら、やっぱり頭いい子しか集まらないんで、ほんとに「中の中で、調子いいときは中の上」くらいの成績でしたね。

中村:理系なんですよね? やっぱり理数系の科目が得意だったんですか?

高佐:そうです、はい。得意でしたし好きでしたね、理数系が。だから逆に国語がすごく苦手で。本当に点数も取れなかったですし、絶望的でした。好きじゃなかったですね(キッパリ)。

中村:理数系ってところでも僕はすごくシンパシーを感じていて(笑)。早稲田大学理工学部に進学されて、お笑いサークルに入られた。そのころはどういう感じだったんですか? プロを目指して?

高佐:はいそうです、プロは目指していて……。なんていうか、とりあえず「東京に行きたかった」んですよ。でも家が厳しくて、大学進学を隠れ蓑にお笑いをコソコソやる、みたいな感じでしたね。進学は指定校推薦だったんですけど、だからもう大学に来てしまった時点で目的は果たした感じだったんで、そこから学校の勉強とかにはやっぱり全然興味がなくって、「とにかくお笑い」っていう感じでした。

中村:じゃあそこからはオーディションを受けたりして……?

高佐:大学1年のときにサークル内でコンビを組みまして、その彼もプロ志望だったんで、大学に通いながらいろいろな事務所のオーディションに行ったりしてましたね。でも全然どこにも引っかからずで……。サークルのライブが定期的にあったんですけど、そこでやるくらいで、そのコンビで活動したのも2年くらいですかねえ……。そこからちょっと、僕が引きこもっちゃいまして。大学も行かなくなって、お笑いもしなくなって、っていうのが丸々1年ありまして。

中村:それは明らかにしてもいいんですか、なにがあったのか。

高佐:う~ん……ライブでもたまに明かしてるんですけど……まあ、女性関係ですねえ(笑)。

中村:やっぱり、美少年・高佐ですね(笑)。

高佐:いやいやいや(笑)、もうドロッドロした感じのヤツなんで(笑)。で、「こんなんじゃダメだ」って思い直して、4年のときにもう一度大学に行きはじめるんですけど、まわりはみんなゼミに入っていたりで、僕はまったく知らない1年生・2年生の人たちと一緒に授業に行くのが、また……。

中村:とってもわかります! 僕もそういう感じだったので!

高佐:物理学科だったんですけど、物理は本当に興味なかったので。物理は、高校のときもちょっと苦手だったんで。一般教養の心理学とか精神分析論とか、そっちばっかり力入れて勉強していて、4年経ったときに「もうダメだな」っていうことで大学を辞めたんです。それと重なるくらいの時期に、「知り合いの作家さんが作ったコント劇団にメンバーとして入らないか」という話をもらいまして。5~6人のグループだったんですけど、そこに尾関がいたんです。僕がサークルでコンビを組んでいたときに、尾関もすでにトリオを組んでたんで、そのときに会ってはいたんで面識はあったんですけど、一緒にやるってことになったのはそのコント劇団がはじめてでした。

中村:それは劇団で、その5~6人で活動していたんですか?

高佐:そうです、単独公演をやったりとか。その活動をしつつ、1年か2年くらい経ったころにコントのワークショップみたいなものに勉強がてら行ってみようかということになって、なぜか僕と尾関のふたりだけ行くことになったんですよ。そのワークショップを開いてたのが京都の作家さんで、ラーメンズさんと一緒にやったりしてコント界では名のある方でした。その作家の方から「尾関君と高佐君でコンビを組もうか」っていうお話をもらったんですね。名前もその方が「THE GEESEってどうかな?」っていうことで。

中村:それまでは、尾関さんと組もうとかっていうのはあんまり考えてなかったんですか?

高佐:なかったです、全然。なにせそのコント劇団で一緒にやってたので。だから劇団の活動もしつつ、THE GEESEという名前でコンビの活動もちょっとしつつという、二足のわらじじゃないですけど、その期間がちょっとありましたね。

中村:なるほど。でもふたりでやってみたらしっくりきて……っていうことなんですか?

高佐:どうなんですかねえ? 僕は本当にもう、誘われるままにやったっていう感じなんで。もともとは、その作家さんが書いたコントをやるっていうユニットだったんですよ。だけど自分たちでもちょっとネタを作ってやりたいなっていうことになって……なんとな~く離れていったような感じですねえ(笑)。そのままもう、いま18年くらい経つんですけど……。

中村:えっ!? そういう、ぼんやりした感覚なんですか? なんか、わりと、誘われたからやる、という……。

高佐:そうですね、僕は基本的にそうですね。自分からアクションを起こすことは少ないかもしれないですね。サークル時代のコンビもたしか、声かけられてだったと思います。

中村:じゃあ、現在の話につながってくるんですけど、いきなり小説執筆のオファーが来て……。誘われるままに……。

高佐:ああ、そういう意味ではそうですね。

中村:ひと晩考えて、マネージャーさんにご相談した、と。マネージャーさんは、ゴッドタンでも有名な大竹マネージャーですけど、なんて言われたんですか?

高佐:「高佐さんがやりたければやったほうがいいですし、やりたくなければ断ってもいいんじゃないですか」みたいなことを。さっき言いそびれましたけど、僕も好奇心だけは人一倍強いので、なんか……身の程を知らないんですけど(笑)。「どうなっていくんだろう」みたいなことに……。

中村:なるほど。コントでオカリナを吹いてみたりとかハープをやってみようとか、そういうのも、好奇心なんですね。

高佐:はいはい。

中村:それで、できるようにもなっちゃうじゃないですか。

高佐:できるようにっていうか……特訓の成果が出たのかなっていうのはあったんですけど(笑)。

中村:その特訓が、まあなかなかできなかったりするもんですけど。

高佐:そういうのが、もしかしたら好きなのかもしれないですね。ひとりでコツコツやるのが。なんか向いてるなあとは思います。練習があまり苦じゃないというか。練習してる時間、好きなんですよ。マジックとかも、家でひとりでコツコツと誰に見せるわけでもなくやってたり。自分の中で「あ、できた」とかっていうのが楽しかったりするんで。

 ***

高佐一慈(たかさ くにやす)プロフィール


 1980年、北海道・函館市出身。2004年3月、尾関高文とともにお笑いコンビ「THE GEESE」(ザ・ギース)を結成。コントを基盤とし、多岐にわたって活動中。キングオブコント2008・2015・2018・2020ファイナリスト。特技はパントマイム、ハープ。

聞き手:中村航、文:ナニヨモ編集部

ナニヨモ
2022年3月3日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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