『いまひとたびの』
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草花の向こうから痛みとともに蘇る 過ぎし日の記憶と感情
[レビュアー] 北上次郎(文芸評論家)
書評子4人がテーマに沿った名著を紹介
今回のテーマは「墓」です
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志水辰夫がデビューしたのは1981年『飢えて狼』であるから、もう41年前のことになる。最初のころは冒険ハードボイルド小説を書いていたが、徐々に一般小説にシフトし、2007年『青に候』から時代小説に転じた。
最初のころの冒険ハードボイルド小説にも、そして時代小説にも、つまりどちらのジャンルにも傑作が揃っているが、個人的に好きなのはその両者に挟まれた十数年間に書かれた一般小説である。この間に書かれた作品から1作を選ぶなら、断然これ。『いまひとたびの』だ。
これは粒揃いの作品集で、収録された短編はどれも素晴らしい。中でも今回のテーマにふさわしい一編が「忘れ水の記」。
高校一年までを過ごした山陰の村にやってきた初老男の墓参りの数日を描く短編である。男の目に映る風景のひとつひとつが実に美しい。
志水辰夫の小説では、現代小説から時代小説まで、いつも草花が咲き乱れているが、この短編も例外ではない。
ハクモクレンが咲き、路傍でレンゲ、カタバミ、ミヤコグサ、人家の庭でカイドウ、サツキ、アジサイ。墓地の近くの草むらでは、キンポウゲ、アマドコロ、ギボウシ、ユウスゲなど。それらの草花の向こうから、過ぎ去った日々の記憶と、失ったものへの未練と後悔、そういった感情がゆるやかな痛みとともに蘇ってくる。志水辰夫の小説がいつも尾を引くのはそのためだ。