美術愛好家を敵に!? みうらじゅんと辛酸なめ子の“芸術冒涜本”を美術史家が読み解く

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ヌー道 nude―じゅんとなめ子のハダカ芸術入門―

『ヌー道 nude―じゅんとなめ子のハダカ芸術入門―』

著者
みうらじゅん [著]/辛酸なめ子 [著]
出版社
新潮社
ISBN
9784103341529
発売日
2021/12/20
価格
1,980円(税込)

猛毒注意――冒涜本にして予言の書

[レビュアー] 木下直之(静岡県立美術館館長、神奈川大学特任教授、東京大学名誉教授)


みうらじゅんさんと辛酸なめ子さんが、古今東西のハダカをめぐって大いに語り合う!

みうらじゅんさんと辛酸なめ子さん、歯に衣着せぬふたりが古今東西の「ハダカ芸術」について語り合った一冊『ヌー道 nude じゅんとなめ子のハダカ芸術入門』が昨年末に発売された。春画から黒田清輝の裸体画、身近な各地に存在する「ヌー銅」まで、果たしてヌード芸術作品はハダカ鑑賞の言い訳なのか? 芸術界のタブーに踏み込んだ一冊『股間若衆―男の裸は芸術か』で知られる美術史家・木下直之さんが読み解いた。

1
 とんでもない本ですね。神聖なる芸術への冒涜であるばかりか、無礼、下品、破廉恥極まりない対談を六回も重ねて恥じないおふたりもまた、とんでもない人たちです。黒メガネ、ロン毛のひとりは見るからに胡散臭く、もうひとりは名前からして怪しい。

 そんなふたりに対談の機会を用意した『芸術新潮』も同罪、美術雑誌が美術愛好家を敵に回していいのかな。後悔しても知らないよ。ふたりは国立西洋美術館に出かけて行って、西洋絵画やロダンの彫刻を前にああだこうだと言いたい放題、こんな調子です。

みうら こんな岩場に裸で座ったら当然痛いでしょう(笑)……ふつうこの体勢だったら、女の人は相手の背中に手を回しますよね。ちょっと拒絶が入ってるのかな?

辛酸 「「野外は、ちょっと」って?

みうら 2人ともすでにハダカだし、やる気は満々ですけどね(笑)。

辛酸 「男性の右手も本当にいやらしい感じです。……ずっと見てるとなんだか恥ずかしくなってきます。

 いくら新潮社だからと言って、これが芸術鑑賞の「新潮」だと主張していいわけがない。それは単なるいいわけです。ところが、ふたりは大胆不敵に断言します。「『アート』と書いて、ルビは『いいわけ』」。

「せいきの大問題」(*1)を追求して来た私は、額縁ショーこそ絵に描いたような「いいわけ」だと思っていました。戦後になるとストリップが解禁、とはいえストリッパーは踊ることも「せいき」を開陳することもままならず、額縁の中で、股を閉じたままじっと我慢の娘(こ)でした。ボッティチェリの《ヴィーナスの誕生》になったりゴヤの《裸のマハ》になったりと、まさに西洋絵画がハダカ鑑賞の「いいわけ」になったのです。

 しかし、ふたりの言い分はそうではない。《ヴィーナスの誕生》も《裸のマハ》も、いやすべてのヌード絵画がハダカ鑑賞の「いいわけ」に過ぎないと。


みうら氏は巷で見かけるヌードの銅像を「ヌー銅」と呼び、撮った写真が約5000枚!(撮影:みうらじゅん)

2
 予言書ですね。「銅像時代」(*2)を追求して来た私は、戦後間もない日本の町に、軍人の銅像を追い払って出現した男や女の裸体像が大好きです。白色セメント像が多かったゆえに肌も白く、額縁ショーの屋外プレイと言ったらいいでしょう。ふたりはそんな裸体像を「ヌー銅」と看破し、その未来まで語っています。日本の銅像は土台がしっかり地中に刺さっていそうだから百年経っても存在し続けるだろうと指摘した後で、

辛酸 で、いつか未来人がこの違和感に気がつくんですかね。

みうら とうとう芸術の正体が暴かれるでしょうね(笑)。

 ふたりは未来人に百年先んじて、「違和感」の持ち主であることを公言してはばからない勇気ある人たちです。

3
 暴露本ですね。ヌー銅設置の秘密まで教えてくれます。

みうら 地方の活性化を目的に、東京の人が売りに来たっていう噂もあります。あなたの村もアート化しませんかって。

辛酸 裸像を1個置くとアートの町になっちゃうんですかね。

 さすがにこんな秘密を暴露してしまったふたりは身の危険を感じたようで、すぐに話題を転じてしまう。売人の何人かを知っている私も消されるかも。

4
 有毒本ですね。面白がって読んでいるうちに、毒は目から身体中に回って、ロダンの《考える人》の前に立っても、股間のことしか「考えない人」になってしまいます。ふたりはこんなことを考えたのでした。

みうら ここでは股間にも注目です。玉の高さが揃っていないんです。

辛酸 あまり注目したことはなかったですが、実際同じ高さじゃないんですね。

みうら そうなんですよ。神様の差配で、段違いになってるんです。たぶん2個がぶつかって痛くならないようにと(笑)。

 ここでなくともずっと「股間若衆」(*3)を追求して来た私からは、おふたりにこんな話題提供を。先ほどまでご覧になっていたロダンの《接吻》には、勃起バージョンもありますよ。

 あれっ、おかしいな。罵倒で始めた紹介文の調子がどんどん変わっている。毒が回ってきたのかな。みなさんも、微量とはいえ試読=試毒してしまったのだから、もう後戻りはできない。

5


みうらじゅん「はかせたろう」は、名画に下着を穿かせる私的プロジェクト。この黒田清輝《智・感・情》(部分)も「穿かせたほうがグッとくるんですよ」。

 実用書ですね。時折、「はかせたろう」という人物(実は活動名)が登場して、ヌード絵画に下着を穿かせる。黒田清輝の《裸体婦人像》の下半身を布で隠した「腰巻事件」以来百年の伝統技術です。それにしても、国のお墨付き重要文化財《智・感・情》に黒い下着を穿かせるなんて、持ち主の東京国立博物館がよくぞ許しましたね。それとも無許可で、欲望の赴くままに?

 いや、妄想するのは勝手、そこまでは国立博物館だろうが国家権力だろうが取り締まることはできない。しかし、さすが予言者たるふたりは、そこにも危惧を抱いています。「このままいけば妄想も裁判にかけられる時代がくるかもしれません」と。

 それにしても、黒メガネの人の発言は(笑)が絶えない。美術館で笑ってはいけないはずなのに。笑いが消えてもう百余年、最後に聞いたのはフランス人風刺画家ビゴーだから、ふたりの(笑)はそれ以来の復活なのです。
 最後に、芸術に本気のいやらしさを感じないのは「“エロス”でお茶を濁すから」という至言を紹介して終わります。名言集ですね。

*1 木下直之『せいきの大問題―新股間若衆―』新潮社、2017年
*2 木下直之『銅像時代―もうひとつの日本彫刻史』岩波書店、2014年 
*3 木下直之『股間若衆―男の裸は芸術か』新潮社、2012年


ジョルジュ・ビゴー『ショッキング・オ・ジャポン』(1895年)より、黒田清輝の裸体画展示をめぐっては笑いや非難が飛び交った。

新潮社 芸術新潮
2022年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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