『田辺聖子 十八歳の日の記録』
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田辺聖子 十八歳の日の記録 田辺聖子著
[レビュアー] 重里徹也(聖徳大特任教授・文芸評論家)
◆戦中戦後 田辺文学の萌芽
三年前に死去した一九二八年生まれの人気作家は、十代後半だった戦中から戦後に至る日々をどう過ごしたのか。それをリアルに物語る四五年四月から四七年三月までの日記である。田辺文学の原点がうかがえるだけでなく、それ自体が小説のように面白い。
日記は学徒動員、大阪大空襲、敗戦、父の死、文学への夢と進んでいく。田辺は四四年に樟蔭(しょういん)女子専門学校(現在の大阪樟蔭女子大)国文科に入学したが、翌年、兵庫県尼崎市の工場に勤労動員された。まずは、工場内の宿泊施設での人間模様が興味深い。
学生同士のやりとりの中に、田辺の辛辣(しんらつ)な人間観察が光る。教員も、講話に来た新聞記者も、工員たちも、観察の対象だ。人物たちには表と裏があり、それを鋭く表現する。しかし、あくまでも温かいユーモアに包んで。田辺文学の萌芽(ほうが)が楽しめる。
国文学の勉強に励む一方で、尾崎士郎や吉川英治の影響を受けて自分も小説を書く。山本周五郎の短編を称賛し、ヘルマン・ヘッセに感動する。愛国と学問への情熱をはぐくみながら、文学への志を磨いていく。
そんな日常に衝撃を与えたのが大阪大空襲である。徹底的に破壊されて焼け野原になった街を歩いて帰宅すると、家は焼けてしまっていた。その時の絶望感と無力感。
ところが、決して感情的になりきらないのが田辺の真骨頂だ。会話が多用された臨場感のある文章で、当時が再現されている。筆致は見事なまでに冷静だ。悲劇に直面している自分も、どこかで相対化されている。
そして、敗戦。世の中の変遷を「三日見ぬ間の桜」にたとえる。そんな時流に流されず、確固としたものを求めるように、国文学を勉強したいと思う。「織田作之助とか、太宰治、坂口安吾」など、文学がデカダンの方向に向かっているのを悲しむ(ところで、三人の作家がこの順番で書かれているのが田辺らしい。織田作が最初なのだ)。
当時書いた小説も収められていて、その想像力の広さに驚かされる。
(文芸春秋・1760円)
1928〜2019年。小説家。巧みな大阪弁で男女の機微を描いた。古典の現代語訳や古典案内の作品も多い。
◆もう1冊
田辺聖子著『春情蛸の足』(講談社文庫)。食と情をモチーフにした名短編集。