戦争、分断、差別……今を鋭く予見した遠藤周作の新発見作品 弟子の作家・加藤宗哉が読みどころを語る

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善人たち

『善人たち』

著者
遠藤 周作 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103035251
発売日
2022/03/28
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

さらに拡がる遠藤文学の世界

[レビュアー] 加藤宗哉(作家)

 長崎市遠藤周作文学館で発見された三篇の作品からなる『善人たち』。『沈黙』の作家が問いかける、「あなたは善人ですか?」

加藤宗哉・評「さらに拡がる遠藤文学の世界」

 遠藤周作の全戯曲は、全集(新潮社版)収録の六篇と、没後に公開された一篇の計七篇とされてきた。しかし没後二十五年目となる昨年暮、長崎市遠藤周作文学館であらたに三篇の未発表戯曲が見つかった。

 生前、なぜ作者がこれらを公表しなかったのかは分からない。いずれも四百字詰原稿用紙で百枚を越えており、丹念な推敲の跡はもちろん、末尾には「幕」の文字も記される。それらがこんど一冊にまとめられた。「善人たち」(初出「新潮」二〇二二年三月号)、「切支丹大名・小西行長 『鉄の首枷』戯曲版」(同「波」二・三月号)、「戯曲 わたしが・棄てた・女」(同「小説新潮」二月号)の三作である。著者の代表的戯曲とされてきた「黄金の国」「薔薇の館」と比べても遜色はなく、余分な言葉を徹底して削ぎ落した点、ストーリーの凝縮という点で、遠藤戯曲の到達点を感じさせる。

 執筆時期は、著者自身の日記やエッセイなどから、五十代の半ばと考えられる。つまり小西行長の評伝を書きおえた昭和五十一年(著者五十三歳)から、純文学書下ろし長篇『侍』に取りかかる五十六歳まで――。かねてより温めていた戯曲稿を一気に三本書き上げたものの、多忙な作家の常、本業の『侍』執筆に取りかかって、仕舞いこんだ戯曲稿のことはすっかり忘れてしまったのか……そうだとすれば、やはり作家とは畏敬すべき存在である。

「小説より詩や劇のほうが上だという気持が心の底にある」(「『喜びの琴』を見て」一九六四年)という著者は自らの戯曲作法について、小説では十枚になることを一枚で書くように努めたと言う。すなわち登場人物の外貌、年齢、性癖は書かない。ト書きも最小限にとどめる。舞台の設定や状況、人物の年齢等は演出家の領分であり、肝要なのはあくまで台詞。第一、聖書には基督や十二使徒の外貌などどこにも書いていないではないか、と著者は書く。「私にとって劇とは人間と人間をこえたもの――つまり人間と超絶的なものとの闘い、もしくは関係にほかならない」(「劇と私」)。かといって話が決して難解にならないところが遠藤流の技法といえる。

「善人たち」の舞台は、日米開戦が間近いアメリカ・ニューヨーク州のオールバニイ。かつて高等教育の象徴と言われたこの町に暮す牧師補一家と、そこへ寄宿する日本人留学生の劇だが、遠藤文学がアメリカのプロテスタント一家を扱うのはめずらしい。しかし何より注目すべきは、登場する人物たちが示す多彩な価値観と人生の様相だろう。牧師になるべく留学した日本人・阿曽の信仰と迷い、牧師補・トムの示す愛、信仰、正義、そして黒人の使用人・コトンが見せる忍耐と欲望、とりわけプエルトリコ人の恋人とニューヨークへ出奔し、愛にやぶれて帰郷した長女ジェニーの述懐には哀切が滲み、その個性と台詞は読む者を惹きつける。

 著者は聖書の“ペテロの否認”――「イエスなど知らぬ」と師を見棄てた弟子の挿話を取りいれ、その弟子に向けられた哀しげだが優しいイエスの眼差を、阿曽やジェニーにも注ぐ。戦争・人種・信仰というテーマのなかに、遠藤用語でもある「善魔」(人間の哀しみを理解せず、自分こそ正しいと他人を裁くもの)が垣間みえる。

 このペテロの挿話は本書収録の他の二篇にも見られ、イエスは「永遠の同伴者」として常に主人公の背後に置かれている。著者はかつて『わたしが・棄てた・女』というタイトルは「わたしが・棄てた・イエス」という意味を隠していると言ったが、今回の戯曲でははっきりと「ミッちゃん(主人公の女性)とイエスとが何と似通っているのだろうか」と一人の修道女に言わせる。さらに「切支丹大名・小西行長」では、削りこんだ台詞が行長の“内なる声”を浮きあがらせ、死にゆく行長に「同伴者イエス」が二重写しとなる。

 おそらく言葉にすれば二つになるようなもの――愛と憎しみ、誇りと汚辱、喜びと哀しみ、信ずることと否むこと――が台詞の行先で重なりあい、観客に主人公の魂の声を届ける、というのが遠藤戯曲の定石だろう。一昨年に話題をよんだ未発表小説『影に対して』(新潮社刊)に続いて上梓された本書で、遠藤周作の文学世界がさらなる拡がりを見せることは疑いもない。

新潮社 波
2022年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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