有罪率99.9%の刑事裁判に挑む迫真のリーガルサスペンス 薬丸岳、構想17年の新たな代表作

レビュー

5
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刑事弁護人

『刑事弁護人』

著者
薬丸 岳 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103544517
発売日
2022/03/18
価格
2,145円(税込)

書籍情報:openBD

迫真のリーガルサスペンス

[レビュアー] 東えりか(書評家・HONZ副代表)

東えりか・評「迫真のリーガルサスペンス」

気鋭のミステリ作家・薬丸岳が17年の構想を経て書き上げた『刑事弁護人』が刊行。有罪率99.9%の刑事裁判に挑む若き女弁護士を主人公に描かれた作品の読みどころを書評家の東えりかさんが語る。

* * *
 ――しかるべく

 日本のリーガルミステリーの中でよく使われる言葉である。本来は「そちらの良いように」という意味だが、法廷用語では「同意します」と同じ意味で用いられるようだ。小説の中で「しかるべく」が登場すると、とたんに法廷劇の興奮が倍増するように思う。本書の中盤、裁判長の提案に関係者が「しかるべく」と答えたあたりから、読むのを止められなくなった。

『刑事弁護人』は日本のリーガルミステリーの書き手では抜群の人気を誇る薬丸岳が2005年のデビュー以降、17年の構想を経て書き上げた現段階の集大成と言える作品である。

 少年法に真正面から立ち向かった『天使のナイフ』(講談社文庫)で江戸川乱歩賞を受賞。以降、ドラマ化された刑事・夏目信人シリーズや加害者家族を描き第37回吉川英治文学新人賞を受賞した『Aではない君と』(講談社文庫)など、犯罪者や被害者だけでなく、その背景や家族・友人の思いを細かく書き込むことで読者の共感を呼んできた。

 本書の主人公は持月凛子。30歳になる弁護士である。人権派弁護士として名高い細川正隆率いる「細川法律事務所」に所属している。弁護士であった父は弁護を担当した事件の関係者に殺されたが、犯人を理解しようと連絡をとっている。

 同僚で37歳の西大輔はぶっきらぼうで社交性に乏しく身なりも弁護士らしくない上に、担当する被告人の利益を全く考えない法廷態度は弁護士仲間にも評判が悪い。凛子もまた腹立たしく思っていた。弁護士になってまだ三年の西は大学在学中に司法試験に通りながら警察官となる。だがある事件で退職後、細川に拾われてあらためて弁護士になったという変わり種だ。細川と西の間で交わされている特殊な契約も何か理由がありそうだ。

 凛子の当番弁護士担当日、刑事弁護センターから依頼が入る。被疑者の名は垂水涼香33歳。逮捕容疑は殺人。職業は埼玉県警毛呂署に勤める現職の警察官。被害者の加納怜治は涼香の通うホストクラブのホストでバンドマン。遺体は彼の自宅マンションで見つかった。怨恨や交友関係を中心に捜査を進めた結果、容疑者として涼香が浮上したのだった。だが彼女は加納の部屋で襲われたため仕方なくやってしまったと容疑を否認した。

 涼香は4年前に息子の響を亡くしている。それ以来、夫の輝久との間に隙間風が吹いていたが、仕事は熱心であり関係者から感謝されていた。ホストクラブ通いは単なる気晴らしで、加納との間に特別な関係はないという。

 接見した凛子は涼香の主張を聞き細川のアドバイスを受けて、気が進まないながら西とふたり弁護を担当することにした。

 事実関係を調べるうちに被害者の加納には窃盗の前科があったことが判明する。さらに少年時代にはある容疑で保護観察処分を受けていた。ホストとコンビニのバイトの他に別の収入があったらしい。涼香と加納には何らかの関係があったのか。西が警察を辞めた理由は何か。涼香は本当に殺していないのか。この事件には何か隠されているのか。

 刑事事件における日本の裁判の有罪率は99・9%だと言われている。もちろんその中には冤罪も含まれているだろうが、よほど強力な証拠が出てこない限り被告人に勝ち目はないということだ。元裁判官の瀬木比呂志氏とジャーナリストの清水潔氏の対談『裁判所の正体』(新潮社)では有罪率の高さを危惧したうえ、木谷明という40年の裁判官人生の中で約30件の無罪を確定させた裁判官を紹介している。

 だからこそ弁護人の力が試される。

 ロス疑惑や厚労省郵便不正事件、小沢一郎やカルロス・ゴーンの事件を担当し「無罪請負人」と呼ばれる弘中惇一郎氏は、著書『生涯弁護人 事件ファイル1』(講談社)の“はじめに”の中でこう記している。

――弁護士の本来の役割は人権を守ることであり、刑事事件においては、被疑者(いわゆる容疑者)や被告人の権利を守り、その利益を何よりも優先させることである。(中略)弁護人のやるべきことは、強大な国家権力の不正・不当なやり方から被疑者・被告人を守り、ありとあらゆる手を尽くして弁護をすることである。

 本書は弁護士という仕事を通じて、事件の裏に隠された日本の司法制度、加害者家族の辛さ、被害者家族の悲鳴、弁護士自身の悩みに真っ向から向き合った迫真のリーガルサスペンス小説に仕上がった。まさに一読、巻を措く能わず。薬丸岳という小説家がまた大きく進化した。

新潮社 波
2022年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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