前野健太がその魅力を語る、みうらじゅんの官能ロック小説『永いおあずけ』

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

永いおあずけ

『永いおあずけ』

著者
みうら じゅん [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103341536
発売日
2022/03/18
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

魔法のことば

[レビュアー] 前野健太(シンガーソングライター/俳優)


©常盤響

前野健太・評「魔法のことば」

 不倫、緊縛、放置、性病、投稿の全部盛りで、煩悩まみれの中年ミュージシャンの痴態を描く、みうらじゅんの官能ロック小説『永いおあずけ』が刊行。本作の読みどころをシンガー・ソングライターで俳優の前野健太さんが語った。

* * *

 本書を読んでいて気づいたことがある。「変態」と「ロック」は似ている、ということ。

 人間には「自由でありたい」という本能が備わっている気がする。「ロック」を聴くと体が熱くなって、軽くなって、何だかやれそうだぞ、という気分になってくる。「自由」という言葉も浮かぶ。青春期にはこれで憂鬱な日々を乗り越えて来た、という方も少なくないだろう。私もその一人である。

 ただ歳を重ねると、何だかそれが効かなくなってくる。もちろん効果はあるのだが、人生丸ごと「おりゃ!」という感じ、そういう一体感はなかなか持てなくなる。「ロック」が効かなくなるのか、自分が鈍くなるのか、はたまた大人になってしまったのか……。

「ロック」が効かなくなっても「自由でありたい」という隠れた本能は消えることがない。「自由でありたい」はずなのに、人間は自分たちを縛ることに勤しむ。社会というものがまずそうだし、会社、家族、学校、法律……とがんじがらめにしていく。どうしてなのだろう。それは種の保存、というまた別の本能があるからだろうか。ともかく私たちは「自由」と「束縛」の間で揺れている。

 自然界に「エロ」という概念があるか分からないが、これもまた人間特有のものだろう。自然に裸、だったらここまで人間の「エロ」も進化しなかっただろう。服で裸を隠し、コンクリートで土を隠し、たまに花の香りにクラッとするのは、動物だった頃の名残なのか。

 帯にもあるように、本書は「不倫、緊縛、放置、性病、投稿」の全部盛り状態だ。次から次へと落ちぶれたミュージシャンたちの痴態があらわになる。ミュージシャンというのは売れたりヒットを飛ばしたり、華やかなステージがあればあるほど、落ちぶれた時が哀しく見える。本書に登場するミュージシャンたちも、どこか物悲しい。ただ絵になるのも事実で、SMでビシビシ叩かれるミュージシャンたちの姿に次第におかしみが湧いてくる。気づいたら店の片隅で顔を覆い隠して笑っている自分がいた。クックックック。

 さらに私が不思議だったのが、不倫相手がSMのプレイ中に放つ罵詈雑言。「この変態野郎!」「いつ、離婚すんだよ! グズグズしてんじゃねぇーよ! おまえの家に乗り込んでもいいんだぞ! 分ってんのか変態野郎!」。この罵倒の言葉が、初めはキツかったのだが、次第に心地よく響いてくるのだ。自分自身がMっけがあるとかないとかそういうことではなく、なんだかいい歌を聞いている時のようなカタルシスがあるのだ。「ほーら、もっと苦しむんだよ! それがおまえの喜びなんだろ! 変態野郎!!」。うっ。

 その時私は思った。もしかしたら……、この「変態」という言葉は、あたたかい言葉なんじゃないだろうか、と。いや、あたたかいという言葉でくくってしまうのはもったいない。「裸になれ。いつものように変態」なんてフレーズは、俳句のような深淵な静けさすら感じるではないか。ししおどしの、コーン、という音が聞こえてきそうである。

 みうらさんは恐らく、この「変態」という言葉に、「ロック」に似た、人々を奮い立たせる何かを見出したのだろう。本書の冒頭を飾る小説「変態だ」はそんな思いから映画化への道を辿ったのではないか。

 私はみうらさんから声を掛けていただき、映画『変態だ』に参加した。主人公の「その男」を演じた。本書に収められた原作の舞台である冬の雪山で実際にロケは行われた。原作にはないが、雪山で「変態だー!」と叫ぶシーンがあった。日没が迫っていた。車止めもする。ドローンも飛ばす。何度もできるシーンではなかった。ヨーイ、ハイ! 監督の号令がかかる。私は革パンいっちょで傷だらけの体を引きずるように歩く。そしてカメラの前で止まる。体に残ったありったけの力を振り絞って天空めがけて叫ぶ。「変態だーーーーー!!!!!」。するとどうだろう。真っ白な雪山にこの言葉がこだましたのだ。「変態だー変態だー変態だー」。オッケー! 監督が叫んだ。私はこの言葉を叫んだ時、体にパワーがみなぎっていくのを感じた。これは魔法の言葉なのではないか、とその時思ったのを覚えている。

「変態」には、異常性欲、という意味と、もう一つ、虫などが幼虫から成体へと変わっていく様を言い表す意味とがある。変身、というか脱皮というか。殻を破る、ということでもあるのだろう。青春期を終え、煩悩まみれになってしまった中年期に、それでもロックし続けるのだ、変態し続けるのだ、というメッセージを、みうらさんは伝えたかったのではないだろうか。

 元気がなくなったら、またこの本を読もう。つい、マジメになってしまいそうだったら、またあの罵声を浴びよう。よくわからないけど、なぜだかぬくもりのある、あの罵声を。「この変態野郎!」。

新潮社 波
2022年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク