エリック・ホッファーの古典的名著『大衆運動 新訳版』を在野研究者・荒木優太が紹介

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大衆運動 新訳版

『大衆運動 新訳版』

著者
エリック・ホッファー [著]/中山 元 [訳]
出版社
紀伊國屋書店出版部
ジャンル
社会科学/社会
ISBN
9784314011891
発売日
2022/02/04
価格
2,200円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

橋頭堡を築け

[レビュアー] 荒木優太(文学研究者)

 社会思想の古典的名著『大衆運動 新訳版』が刊行。沖仲仕の哲学者・ホッファーが宗教運動や民族主義運動、ナチズムなどあらゆる大衆運動の、特に狂信的な段階に共通する特性をあぶりだす本作について、荒木優太さんが寄せた書評を紹介する。

 ***

 ホッファーがモンテーニュを読むことで自身の思考のスタイルを確立したことはよく知られる。本書でもその片鱗がうかがえる箴言調はよい証左である。他方、この本でエピグラフとして採用されているのはパスカルと聖書であって、本文において『エセー』よりも『パンセ』の参照の方が多く、たとえば次のセンテンスなどはどちらかといえばパスカル風ではないか。「言語を革新するのは、政治家や詩人や作家や科学者や専門家など、その国のもっとも優れた人々であると同時に、スラングを作り出すもっとも劣った人々なのである」(第一八節の註)

 一方ではインテリや左派のあいだで、なにやら政治や倫理に関係しているらしい無骨なカタカナ語や頭字語が常識のように語られ、もう一方では、卑猥だったりあけすけ極まりないインターネット・スラングが日常の言葉として定着しつつある。二極にはさまれた、せいぜい辞書を頼って読み書きするほかない凡庸な中間者にホッファーの視角の拠点があることははじめに確認していい。

 ナチズムやスターリニズムなどが狂信的な段階に至る原因を、本当は自分には力があるのにそれをまともに評価されていないと考える欲求不満の心にあると本書はいう。その心性は第一に自己犠牲への傾きとして発現する。彼らは駄目になってしまった自分をひどく憎んでおり、もう使いものにならない不出来な自己から脱出する機会を探している。大衆運動は未来にやってくるだろう高邁な理想郷のためという体裁のもとこれを実現さす好機となる。特権をもてなかった社会の落ちこぼれは勿論のこと、客観的には文化的資本に恵まれているように見える知識人にもまたこの欲求不満が強く抱かれることはぜひ注意したい。

 運動への礼賛は勿論のこと、否定も嫌悪も表明しておらず、単なる説明を試みただけという建前があることを十分認めつつも、ホッファーの調子にはどこか冷笑的なものが響いていることもやはり疑えない。

 それにしてもホッファーにとって、自己犠牲の精神はそれほど無縁なものだったのだろうか。死後に刊行された自伝によれば、七歳の頃に原因不明の失明状態に陥り、視力が回復した一五歳になっても正規の学校教育を受けられなかった。一八歳のときに父を亡くし、その後、季節労働者として独学しながらカリフォルニア州を渡り歩く。そのなかで頼みにしていたのは、幼い頃、母親代わりの女性が短命のホッファー家を念頭に言った「将来のことなんか心配することないのよ、エリック。お前の寿命は四十歳までなんだから」なる言葉だったという(『エリック・ホッファー自伝』中本義彦訳、作品社)。夭折の予言は生の意欲を根本的に奪うようにみえるが、実際のところホッファーにとってこれはこの上ない御守となった。どうせ先は知れている。結果的にその積み重ねは華々しいデビューを飾った本書『The True Believer』(「忠実な信仰者」の意)となって花開くわけだが、そんな約束なしに励みつづけた思索の日々は、求道者めいたいささか宗教的な姿勢を想わせる。これは自己犠牲となにが違うのか。

 いや、両者を分かつ線は確かにある。自己犠牲に加え、心性に見られる第二の特徴は統一行動だった。集団のなかに己を溶かし込むことによって念願の自己放棄が達成される。これほどホッファーの生き方と相容れないものはない。そしてもう一つ重要な指摘として、元凶としての欲求不満はどうやら創造力と相性が悪いらしい。「来る日も来る日も自分の手元で何かが成長し発展していくのを見守ることができることほど、わたしたちの自信を強め、自分自身に満足するのに役立つことはない」(第三〇節)。運動の火付け役となる言論人を論じるなかでも、未来ではなく現在に留まる創造的言論人は運動を穏健なものにしてしまうと指摘されている。

 当てのない思索はただただ自己をむなしくするだけの現実逃避にもうつる。が、その避難所によってこそ、早く未来に行けよと急かす世の大きな波から自分を守る橋頭堡(きょうとうほ)ができあがる。おそらく、現在の先進的な人々にとってホッファーの章句は決して耳障りのいいものではない。多くの場合に保守的で、しばしば差別的にうつるだろう。それでも自殺願望のねじれた発露のような犯罪が目立って報道される今日、新語造語など使わずとも十分発揮できる創造力という名の橋頭堡を築く価値は決して小さくない。SNSが全面化した世界のなかで、大衆運動とはそれが運動と認知されないまま加担していくものなのかもしれないという直観とともに、本書は新たな読まれ方を待っている。

 最後にすこしだけ。Tom Shachtmanの『American Iconoclast : The Life and Times of Eric Hoff er』(二〇一一年)によれば、ホッファーの誕生年は、自伝など本人の申告によって長らく(小林秀雄や中野重治と同じ)一九〇二年だとされてきたが、死後進んだ研究によると、一九三七年の社会保障制度加入のための申請では一八九八年生と記載されているのが発見されているそうだ。ホッファーのなかにあったらしい若づくり願望や家族が憂慮した第一次世界大戦中のアメリカにあった反ドイツ的偏見など理由は色々あるようだが、今後はホッファーの著作物だけでなくホッファー研究のさらなる受容を期待したい。

紀伊國屋書店 scripta
no.63 spring 2021 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

紀伊國屋書店

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