『フォンターネ山小屋の生活』
- 著者
- Cognetti, Paolo, 1978- /関口, 英子, 1966-
- 出版社
- 新潮社
- ISBN
- 9784105901790
- 価格
- 1,980円(税込)
書籍情報:openBD
孤独に慣れない隠遁者が山小屋の生活で得たものとは
[レビュアー] 大竹昭子(作家)
前著『帰れない山』(新潮クレスト・ブックス)ではアルプス山麓の自然が描かれ、イタリアの山暮らしと人間関係が瑞々しく小説化されたが、本書はその三年前に書かれた体験記。小説の元が詰まっている。
三十歳で「生まれてこのかた一度も経験したことのない虚無感」にとらわれ、読むことも、書くこともできない。窮地を脱する策として十代に親しんだ山の環境に自らを閉じこめようと思いたつ。
見つけた場所が象徴的だ。子どもの頃に夏場を過ごした渓谷と、分水嶺を境に隣り合っており、嶺に立つと手前側に大人になった今の自分がいて、反対側に記憶のなかの自分がいる。二つを結びつけるのは正面に聳えるアルプス連峰、モンテ・ローザ。
傷ついた者が自然を求めるのは珍しくないが、興味深いのは山に入って気づく自身の姿だ。滞在二週間にして「隠遁者としては完全に失格」だと悟る。こちらに歩いて来る人影を小屋の窓から見て「嬉しくて駆け寄りたい気分」になったのだ。現われたのは山小屋の持ち主のレミージョ。季節外れの雪で被害はなかったかと心配して来てくれたのだ。
ソローの『森の生活 ウォールデン』を愛読しているが、ソローほど孤独を慈しめない。それは著者が小説家だからだろう。人とのあいだに生じる起伏ある感情が心を潤し、生きる意欲をわき立たせる。
その意味でレミージョと過ごす時間は至福のものだ。レミージョは読書家で書きたい人でもあり、共通点を見つけた著者は喜びに満ちた関係を築いていく。ほかにも水道もトイレもないシンプル生活を貫く本物のアウトローである牛飼いのガブリエーレなど、人物像が鮮やかだ。
徐々に書ける手を取り戻し、一匹の犬を伴侶に得て秋には山を降りてゆく。著者を治癒したものは一つではないが、人との出会いは欠かせない。少なくともそれがなければ『帰れない山』は書かれなかっただろう。