【発売即重版!】著者の怪談巧者ぶりがたっぷりと味わえる一冊――加門七海『船玉さま 怪談を書く怪談』文庫巻末解説【解説:朝宮運河】

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船玉さま 怪談を書く怪談

『船玉さま 怪談を書く怪談』

著者
加門 七海 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041121658
発売日
2022/02/22
価格
792円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【発売即重版!】著者の怪談巧者ぶりがたっぷりと味わえる一冊――加門七海『船玉さま 怪談を書く怪談』文庫巻末解説【解説:朝宮運河】

[レビュアー] 朝宮運河(書評家)

■ 発売即重版!! 怪談実話のパイオニアが綴る恐すぎる実体験。
加門七海『船玉さま 怪談を書く怪談』文庫巻末解説

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

■ 加門七海『船玉さま 怪談を書く怪談』

【発売即重版!】著者の怪談巧者ぶりがたっぷりと味わえる一冊――加門七海『船...
【発売即重版!】著者の怪談巧者ぶりがたっぷりと味わえる一冊――加門七海『船…

■解説
朝宮 運河(書評家・ライター)

 今年(二〇二二年)に作家活動三十周年を迎える加門七海は、一九九二年のデビュー作『人丸調伏令』以来、伝奇やホラーを中心に数多くの小説を発表してきた。それと並行して『うわさの神仏 日本闇世界めぐり』をはじめとする民俗学・オカルト・風水などへの豊富な知識を生かしたルポルタージュやエッセイも執筆。また『怪談徒然草』などの怪談実話作品でも人気を博している。
 こう紹介すると幅広いジャンルでマルチに活躍しているようだが、その作家的立ち位置は驚くほど一貫している。フィクションかノンフィクションかを問わず、加門七海の作品はほぼすべて幽霊や神仏、鬼やまじないなどの目に見えない世界を扱っているからだ。小説界広しといえども、ここまで真摯に超自然の世界を探究している作家も珍しい。現代に〝生粋の怪談作家〟と呼ぶべき作家がいるとするなら、それは加門七海のことだろうと私はひそかに考えている。

 本書『船玉さま 怪談を書く怪談』は二〇一三年にメディアファクトリーより刊行された怪談実話集を、改題のうえ文庫化したものだ。オリジナル版の単行本には「船玉さま」から「怪談を書く怪談」まで十二話が収められていたが、文庫化にあたって新たに書き下ろしの「魄」が追加収録された。
 怪談実話(実話怪談とも)とは、実際に誰かが体験した怖い話、奇妙な話をもとに構成された怪談作品のことである。怪談そのものはもちろん大昔から存在したが、実話であることに特化したひとつの文芸ジャンルとして確立したのは比較的近年、一九九〇年代前半頃だろう。二〇〇〇年以降になると裾野がぐんと広がり、今日では無数の書き手がそれぞれに特色ある怪談実話作品を発表している。取材がベースの実話でありながら、書き手によって作風に違いが出るのがこのジャンルの面白いところだ。
 加門七海の怪談実話の特色は、著者自身の体験を記しているという点にある。一般に怪談実話といえば第三者の体験をルポ風に再構成するものだが、加門七海の怪談実話は基本的に一人称語りであり、怪談でありながら日常エッセイの味わいに近い。
 というのも著者は奇妙なものを頻繁に見たり聞いたりしてしまう、いわゆる霊感体質だからである。本書の姉妹編的な怪談実話集『もののけ物語』などの記述によると、怪しい物音を聞いたり、自宅や街角で幽霊を見たりするくらいは日常茶飯事らしい。このことは怪談実話を執筆するうえで大きな利点のようだが、そうとばかりも言い切れない。怪談実話は体験談さえあれば書き上がる、という単純なものではないのだ。
 背筋が凍るような怪談、思わず引き込まれるような怪談を成り立たせているのは、ひとえに書き手(あるいは語り手)の技量である。鉄板の爆笑エピソードでも口下手な人がしゃべると面白さが伝わらないのと同様に、怪談実話も実体験を「どのように語るか」によって印象が大きく左右されるのだ。加門七海がこのジャンルにおいて絶大な支持を得ているのは、語られる体験談の生々しさもさることながら、その語り口が一流であるからに他ならない。
 怪談実話としては比較的長めの作品を多く含む本書『船玉さま』は、そんな著者の怪談巧者ぶりがたっぷりと味わえる一冊になっている。論より証拠、たとえば本書でも屈指の怖さを誇る「船玉さま」をやや詳しく読んでみたい。
 作品の冒頭で語られるのは、「海が好きではない」という著者自身の感慨とその理由である。海は磯臭く、日差しや風が強く、死と距離が近い。山は山で怖ろしいが、それでも海の方が怖いのだと著者は言う。宗教や民俗学に造詣の深い著者は、そこから日本の神話と海の関わりに言及し、神道において海がいかに重要視されてきたかを語る。
 そのうえで「とはいえ、神と海との関わりすべてが、清浄なものとは言い切れない」と意味ありげに続ける。このフレーズをきっかけに、いよいよ本題である友人の体験談へと移っていくのである。
 この導入部は落語でいうマクラにあたるパートであり、怪異だけをシンプルに語ろうとするならば不要だろう。しかし海にまつわる一連の随想が、後半の展開の伏線となり、ひいては友人の家で起こった心霊現象に奥行きと余韻を与えている。
 著者とレストランで食事をしていた友人は、引っ越した先で体験している不可解な出来事について語り始める。いやな感じのする踏切、海の近くに住む霊能者、そして友人宅に現れたおぞましい女の霊。度重なる怪異によって友人一家は疲弊していく。
 語られる内容自体はなんとも凄絶なのだが、語り口はあくまで落ち着いたトーンを保っていることに注目してほしい。話し上手のご近所さんに招かれて、差し向かいで怪談を聞いているような、臨場感とくつろいだ雰囲気がここには同居している。冒頭と対応した「私はやはり海を好きにはなれそうにない」という一文で現実に戻ってくるまで、読者は忙しない浮世を忘れ、ゆったりと達意の語りに耳を傾ければいい。
 こう書くと「あまり怖くないのでは」と早とちりする読者がいそうだが、それは誤解である。本書で語られる怪談はいずれも、情け容赦なく怖ろしい。「船玉さま」で友人一家が霊障に悩まされることになったのは、ほんの些細な出来事がきっかけであった。あるいは「茶飲み話」ではとある一家が次々と不幸に見舞われ、「聖者たち(一)」では街角の浮浪者が奇妙な言動を取るようになる。
 彼らはなぜこのような目に遭わなければならなかったのか。作中で一応の推理は示されているが、肝心なところは誰にも分からない。本書で扱われているさまざまな怪異は、基本的に人間の知恵やルールが及ばぬ存在であり、私たちはその虎の尾を踏まないように大人しく暮らすしかないのだ。
 たとえ霊感があっても対処しきれないことは、民話の里・遠野への取材旅行での顚末を記した「いきよう」を読めばよく分かる。殺人現場とされる廃屋を訪れた著者は、何度も「いきようがない」という不気味な声を耳にするが、その意味するところは最後まで分からないのだ。せいぜい対症療法的に、手を合わせることしかできない。
 加門七海の怪談実話に漂っている独特の怖さの正体は〝ままならなさ〟の感覚ではないかと思う。コミュニケーションできない相手が世界のどこかに潜んでいるという恐怖。世の中を動かしているのが人間だけではないと気づくという居心地悪さ。誤ってタブーを犯してしまうかもしれないという不安──。ほとんど怪異らしい怪異が起こらない巻末の「魄」が、それでもやはり怖ろしいのは、こうした禁忌の感覚を扱っているからだろう。
 思い起こしてみれば子供の頃、周囲には怖いものが満ちていた。大人になるにつれそうした感覚は失われ、世の中は人間の手でコントロールが可能だと思い込んでしまう。実際、目に見える世界はそうやって動いていることが多いだろう。
 加門七海の怪談実話はそんな読者に、世界のままならなさをあらためて突きつけてくる。加門七海の怪談実話を読んだ人は、誰しも周囲が怖いもので満ち満ちていた子供時代に戻ってしまうのだ。それは悪いことだろうか。そうとばかりも言えないだろう。世界を正しく怖がることは、今よりも謙虚に生きることに繫がるからである。

 すでに解説の紙幅をオーバーしつつあるが、二、三さらに付け加えておこう。
 本書には失われた東京の風景が、怪異の形を借りてしばしば現れてくる。空き地での怪異を描いた忘れがたい小品「郷愁」、文豪・永井荷風が生きていた時代の空気を伝える「浅草純喫茶」。三味線にまつわる数奇な恋愛怪談「とある三味線弾きのこと」も、失われた時代へのノスタルジーが濃厚だ。これらは骨董や着物など古いものを慈しみ、東京の歴史に精通した加門七海でなければ書き得ない怪談実話であり、市井の人びとの生活の記録としても貴重なものだ。
「誘蛾灯」は二〇〇九年九月、怪談専門誌『幽』の創刊五周年記念イベントの打ち上げとして、同誌に関わる作家・編集者が房総半島のホテルに宿泊した際のドキュメントである。複数の作家が怪異の当事者となるという、怪談文芸史上極めてレアなこの夜の出来事については、同宿していた伊藤三巳華、立原透耶、宇佐美まこともそれぞれの視点から怪談実話を執筆している。『怪談実話系3 書き下ろし怪談文芸競作集』という本に収められているので、興味のある方は探してみていただきたい(壊れたサイドミラーの写真もしっかり掲載されている)。
「怪談を書く怪談」は怪談を書くことを生業としている著者の日常を覗かせてくれる興味深い一編。往年のベストセラー『恐怖の心霊写真集』について原稿を書こうとした著者だったが、その本が怖くて入手できない。コピーをもとに原稿を進めようとするも、異変が次々と降りかかる。「この手のものを書こうとすると、寝た子を起こすごとく怪異は甦って禍を呼ぶ。それどころか、洒落にならない事態を新たに招いてくる」というのだから、怪談作家も命がけだ。
 それでもなぜ著者が怪談を書き続けるのかといえば、単純に好きだから、というのが一番大きな理由だろう(著者にはそのものずばり『「怖い」が、好き!』という著作がある)。
 加門七海はこれだけ怖い目に遭っていながら、怪談好き、オカルト好きであることをやめない。さまざまな語りの技巧を凝らした著者の怪談実話が、怖さというツボを決して外さないのは、著者自身が大の怪談ファンであるからだ。
 怖いものが大好きで、幽霊にしばしば遭遇し、三十年間も怪談を書き続ける──。冒頭で加門七海のことを生粋の怪談作家と表現したが、いっそ〝怪談と相思相愛の作家〟と呼ぶのがふさわしいかもしれない。
 私のような怪談愛好家にとって、見えない世界との付き合い方を描き続けてきた加門作品はまさに宝の山だ。本書の刊行をきっかけに、さらなる復刊・文庫化が進むことを望みたい。

■作品紹介・あらすじ
加門七海『船玉さま 怪談を書く怪談』

【発売即重版!】著者の怪談巧者ぶりがたっぷりと味わえる一冊――加門七海『船...
【発売即重版!】著者の怪談巧者ぶりがたっぷりと味わえる一冊――加門七海『船…

船玉さま 怪談を書く怪談
著者 加門 七海
定価: 792円(本体720円+税)
発売日:2022年02月22日

怪談実話のパイオニアが綴る恐すぎる実体験。書かれた”怪”は”怪”を招く
海が怖い。海は死に近いからーー。山では、「この先に行ったら、私は死ぬ」というような直感で足がすくんだこともある。海は、実際恐ろしい目にあったことがないのだけれど、怖い。ある日、友人が海に纏わる怖い話を始めた。話を聞いているうちに、生臭い匂いが立ちこめ……。(「船玉さま」より)
海沿いの温泉ホテル、聖者が魔に取り込まれる様、漁師の習わしの理由、そして生霊……視える&祓える著者でも逃げ切れなかった恐怖が満載。
「”これ本当に実体験! ?”と驚くことばかり。ぞくぞくします。」 高松亮二さんも絶賛の声! (書泉グランデ)
文庫化にあたり、メディアファクトリーから刊行された『怪談を書く怪談』を『船玉さま 怪談を書く怪談』に改題し、書下ろし「魄」を収録。解説:朝宮運河
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322109000590/
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KADOKAWA カドブン
2022年04月02日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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