『幻の小川紳介ノート』
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幻の小川紳介ノート 1990年トリノ映画祭訪問記と 最後の小川プロダクション 小川紳介、小川洋子著
[レビュアー] 小野民樹(書籍編集者)
◆農の本質を追い求めて
一九九〇年のトリノ映画祭の特集「一九六〇年代の新しい日本映画」は四十三本のうち、三里塚シリーズ六本を含む八本が小川紳介のドキュメンタリー作品という異色の選択だった。本書は、直腸がんの再発と転移の不安を抱えつつ、小川が克明に綴(つづ)った映画祭報告を中心にした、小川プロの映画作りの本質を伝える優れた映画論である。
映画祭のディスカッションで、小川は自己の映画体験を語る。左翼独立プロやPR映画の修業時代から、いかに志を共にする仲間たちと自由な映画を目指したか、イタリアン・リアリズムの影響、農民の闘争記録から農と風土の探求に進んだのか……小川はイタリア人に一つの比喩を示す。三里塚に稲刈りにきた援農学生の鎌捌(さば)きは、アル中爺(じい)さんのそれより当然力強い、だが爺さんの周りには赤とんぼが飛んできて戯れている。夕日を背にしたいいカットだが、それだけでは風景にすぎない、赤とんぼと爺さんの労働と大地の調和は表現されない。そこを掘り下げる過程で、農業の「働く」側面だけでなく、「創造の喜び」までを捉える新しいドキュメンタリーが拓(ひら)けていった。
そのとき小川にはミラノに行きたいという願望があった。若い日に恵比寿の小便臭い映画館で見たヴィットリオ・デ・シーカ監督『ミラノの奇蹟』で登場人物がホーキにまたがって大聖堂の尖塔(せんとう)を越えて飛んでいくラストが小川の映画の原点だったのだ。そこを訪れたときの小川の歓喜を、同行した山根貞男が書き留めていて微笑(ほほえ)ましい。
私が小川の『圧殺の森』を見たのは、バリケードに囲われた早稲田の暗幕も不十分な教室と記憶している。ぼそぼそと生硬な言葉を喋(しゃべ)る高崎経済大学の学生たちの長いカットに参ったなと思ったが次第に引き込まれていった。彼らの闘いは、スマートな「知性の叛乱(はんらん)」ではなく、小川が追い求めていく農の本質に通じていたのだろう。
小川紳介、享年五十五。本書は、疫病と核戦争の不安の現在に小川プロの闘いを語り継ぐ三十年後の遺書となった。
(シネ・ヌーヴォ発行、ブレーンセンター発売・2200円)
1936〜92年。ドキュメンタリー映画監督。自主製作・自主上映で若者から支持された。
◆もう1冊
小川紳介著、山根貞男編『【増補改訂版】映画を穫る ドキュメンタリーの至福を求めて』(太田出版)