『名探偵と海の悪魔』
- 著者
- スチュアート・タートン [著]/三角 和代 [訳]
- 出版社
- 文藝春秋
- ジャンル
- 文学/外国文学小説
- ISBN
- 9784163915074
- 発売日
- 2022/02/24
- 価格
- 2,750円(税込)
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悪魔が信じられていた時代の美しく端整な謎解き
[レビュアー] 杉江松恋(書評家)
敵は絶望、そして悪魔。
スチュアート・タートン『名探偵と海の悪魔』は海洋冒険から謎解き、怪奇現象と、盛りだくさんの要素で書かれた長大な娯楽小説である。物語に詰め込めるだけのものは全て入った特大盛りなので、小食の人は覚悟して箸をつけたほうがいい。しかし満足できること請け合いである。
時は十七世紀、インドネシアのバタヴィアからオランダに向けて、一隻の船が出航する。そのザーンダム号には東インド会社バタヴィア総督のヤン・ハーンが乗船していた。家庭内でも暴君として振る舞うヤンを妻のサラは憎みつつも恐れる。
そのヤンに虐げられた者が他にもいた。彼の招きでバタヴィアにやってきた探偵サミュエル・ピップスが無実の罪を着せられて囚人として船に乗せられていたのだ。サミュエルの助手アレント・ヘイズはただ一人、友人を信じて彼を護ろうとする。
出航の前から船は不穏な空気に包まれていた。病者と思われる怪人が船の行く手について不吉な予言をした後、奇怪な形で焼死したのだ。その後、船には凶兆が現れる。弱い心に忍び寄って災いをなす悪魔〈トム翁〉の印が帆に浮かび上がったのだ。
名探偵が船倉に囚われて行動不能であるため、やむなくサラとアレントの二人が悪魔を退けるために知恵を絞る、というのが前半の展開だ。物語の中盤、密室状態の船内で殺人事件が起き、ミステリー的な興味が一気に膨れ上がると同時に、わずかに維持されていた均衡が崩れ、船は絶望的な危難の中へ叩きこまれる。
科学よりも宗教が優位であり、悪魔が信じられていた時代だからこそ成立する物語だ。この世界では、人命は容易く失われる。それゆえ死の影が漂い、悪魔への恐怖が常に色濃い舞台のあちこちに、作者は謎解きの手がかりを埋め込んでいる。真相は端整なもので、解決篇を読みながら幾度も感嘆した。あれほど醜怪な謎にこんな美しい解が存在するとは。