葉室さんと「美」――葉室 麟『洛中洛外をゆく』文庫巻末解説【解説:澤田瞳子】

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洛中洛外をゆく

『洛中洛外をゆく』

著者
葉室 麟 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784041117750
発売日
2022/02/22
価格
880円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

葉室さんと「美」――葉室 麟『洛中洛外をゆく』文庫巻末解説【解説:澤田瞳子】

[レビュアー] 澤田瞳子(作家)

■葉室麟と古都の魅力を味わい尽くす。珠玉の京都案内
葉室 麟『洛中洛外をゆく』文庫巻末解説

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

■ 葉室 麟『洛中洛外をゆく』

葉室さんと「美」――葉室 麟『洛中洛外をゆく』文庫巻末解説【解説:澤田瞳子...
葉室さんと「美」――葉室 麟『洛中洛外をゆく』文庫巻末解説【解説:澤田瞳子…

■葉室さんと「美」

■解説
澤田 瞳子  

 葉室麟さんとのお付き合いには、いつも不思議に美術の影がある。初めてのご縁は、二〇一二年の末、葉室さんとわたしが偶然、同時期に同じ雑誌で江戸中期の絵師・伊藤若冲を書こうとして、「ならば若い人に」とお譲りいただいた折だ。
 ただこの時のやりとりはすべて編集者を通じての伝聞で、直にお目にかかったのはそれから二年半後。京都に仕事場を構えられた葉室さんが、小堀遠州を主人公とした『孤篷のひと』の執筆に取りかかられた際、京都・東山の長楽館で対談させていただいた(本文庫に収録)のが最初だった。対談終了後の会食の最中、葉室さんの携帯に拙著『若冲』の書評を依頼する新聞社からの電話がかかってきたのも、今から思えば不思議な偶然と言えよう。
『蜩ノ記』で直木賞を受賞なさった葉室さんは、〈羽根藩シリーズ〉に代表される清冽な武家小説、結果的に晩年の大著となった『大獄 西郷青嵐賦』『天翔ける』などの骨太な歴史小説を手掛ける一方で、日本の美術・芸術に題を取った作品を複数執筆なさった。
 歴史文学賞受賞作である「乾山晩愁」、仏師を主人公とした長編『天の光』、政争に破れ、茶人となった男の静かな戦いを描いた『山月庵茶会記』、華道の研鑽に打ち込む少年僧の成長を捉えた『嵯峨野花譜』、小堀遠州を軸に茶湯の世界を記した『孤篷のひと』、そして五十作目の著作となった記念碑的作品『墨龍賦』……こう列記すると、その「美」への関心がはっきり浮かび上がってくるが、葉室さんはわたしに伊藤若冲をお譲り下さった後も、その執筆を諦めておられず、親しい編集者には「そろそろ僕も書こうかなあ」と仰ってらしたという。実際、わたしも酒席をご一緒した折には幾度か、「澤田さんはどういう点から、若冲の性格を決めたの?」と問われ、お互いの若冲観を語り合うこともあった。
 だからわたしは、いつかきっと葉室さんの「若冲」を拝読できる日が来ると信じていた。あの奇矯の絵師と彼が生きた十八世紀の京都を、一体どのように描かれるのか。葉室さんの急逝によって、それを拝読する機会が永遠に失われたことが、後輩として一読者として、あまりに哀しくてならない。
 初めて若冲を書こうとしたあの頃、わたしはデビューして日が浅く、いまだ何者でもない若造だった。他者の苦衷に寄り添い、人に手を差し伸べ、よりよい活躍の場を与えることを己の喜びとしていらした葉室さんは、だからこそそんなわたしにテーマをお譲り下さったのだろう。とはいえ「人は美しく生きねばならない」と、口癖の如く仰っていた葉室さんからすれば、そんな雅量はごく自然な行いでいらしたのに違いない。それが証拠に拙著が直木賞候補となり、折から始まった若冲ブームの中で事あるごとに取り上げられるようになっても、決してご自分の行為を口にしようとはなさらなかった。
 念の為に記せば、葉室さんが求めた「美」とは、決して外見の美しさではない。その人の心の中にある信義や心の気高さといったものを「美しさ」と呼び、かくあらねばと己に課すとともに、美しく生きんとする様々な人の姿を物語に紡がれた。
 我々が現在目にすることが出来る芸術作品とは、いわば究極の「美」を可視化したもの。だとすれば、人の裡なる「美」を筆で描き出そうとした葉室さんにとって、それはひどく興味深く、そして自著にもっとも近しい存在だったのではないか。
 その一方で葉室さんはおそらく、「美」を生み出す製作者たちに、己自身を重ねあわせてもいらしたのだろう。すでに最初の単行本『乾山晩愁』のあとがきの中で花田清輝の「もう一つの修羅」という言葉を引き、絵師たちの生きる修羅道に、一冊の本を上梓してもなお小説を書いていきたいと願う我が身を重ね合わせていらっしゃるが、ことに『墨龍賦』において、武士への未練を持ちながら、六十歳を超えて絵師として花開いた海北友松を描く筆には、ジャーナリズムへの意欲を抱きつつも小説家となったご自身の姿が垣間見える。
 ──わたしは、絵とはひとの魂を込めるものであると思い至りました。(中略)絵に魂を込めるなら、力ある者が亡びた後も魂は生き続けます。
『墨龍賦』の中で、友松は安国寺恵瓊に向かってこう述べるが、この「絵」という言葉を、「小説」と変えればどうだろう。小説を通じて自らの心を描き、「心の歌」を歌おうとなさったかの人の姿が、ここにあるではないか。
 そうか。人の裡なる「美」を追求し続けた葉室さんは、形ある「美」である美術に心を寄せ、それを作る者を描かんとし──そして遂には自らの作品を、一つの「美」に昇華なさったのだ。ならば葉室さんが亡くなられても、残された物語の中に秘められた「美」は永遠に輝きを失わない。だから御作を読むたびに、乾山の、友松の作を見るたびに、幾度もわたしは出会い続けるのだろう。あの優しくも厳しいお声と、人を信じ、その「美」を見つめ続けた揺るぐことなき眼差しに。

(KKベストセラーズ刊『葉室麟 洛中洛外をゆく。』所収の巻末特別エッセイを再録)

■作品紹介・あらすじ
葉室 麟『洛中洛外をゆく』

葉室さんと「美」――葉室 麟『洛中洛外をゆく』文庫巻末解説【解説:澤田瞳子...
葉室さんと「美」――葉室 麟『洛中洛外をゆく』文庫巻末解説【解説:澤田瞳子…

洛中洛外をゆく
著者 葉室 麟
定価: 880円(本体800円+税)
発売日:2022年02月22日

葉室麟と古都の魅力を味わい尽くす。珠玉の京都案内
人は美しく生きねばならない。義に生きる武士たちの清廉な生き様を描いた時代小説や、人生観揺るがす骨太の歴史小説で多くの読者を魅了し続けてきた作家・葉室麟。遺された作品の数々を紐解くことで、主人公に託した思いから、創作のなかでたどり着いた珠玉の人生観までを明らかにする。小説ゆかりの京都の名所案内を兼ねた、何度でも読み返したい一冊。澤田瞳子ほか、豪華対談とコラム「現代のことば」を書籍初収録!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322105000218/

KADOKAWA カドブン
2022年04月08日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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