<東北の本棚>100年の視点で災禍詠む
[レビュアー] 河北新報
結社「塔短歌会」の選者で、現代短歌評論の受賞歴もある歌人の第4歌集。東日本大震災前後を詠んだ葛原妙子賞歌集「リアス/椿」以来、6年ぶりとなる。2014~18年の456首を収めた。気仙沼市の早馬神社の生家は被災。決して元に戻ることのない生活を静かに詠む。
「ナラティブ」とは人が主体的に紡いでいく「物語」を指す。著者は「<ナラティブ>とは語り。からだが語る言葉」と言う。書名には14年暮れに101歳で亡くなった祖母が影響する。決して遠くはない、100年という物差しが著者の物の見方に入り込む。震災をも100年の視点で見ようとする。「私の言葉であるけれど、震災も戦災も経験した祖父、祖母の言葉でもある」。二つの災禍を経験した祖母の小さな体に人の一生の意味を感じ取り、また自身の体で聞いたさまざまな<語り>を歌にした。
連作「寝顔」では祖母が歌われる。かつて乳がんを患い死と向き合った著者の、生に対する執着のごとき思いが重なる。<乳ふさの奥へと腹へと手を入れるあたたかいあたたかい死のからだなり>。言葉を生むことも、感じることも己の肉体を通して。祖母がいた病院、誕生会、仮設住宅に囲まれた勤務先…。何げない日常の中に震災や自身の死への意識が隠れている。
1世紀、戦後75年、震災から10年、そして自分に残された時間。それらが著者の視座にある。遺品お焚(た)き上げの歌に整理することのできない思いが表れる。<火のなかにほどければいい あの春を写真に幾度打ち寄する波>。死してなお残るもの、変わらぬものがあるはずと必死に探す姿も。<どのやうななにかであるかわからざるかたちをもとめ砂を掘りゆく>
喪失感や悲痛は何も震災だけではない。本書は日々感じる死への普遍的な畏れがあり、それゆえに長く読み継がれることだろう。(建)
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砂子屋書房03(3256)4708=3300円。