『生まれつき翻訳 Born Translated 世界文学時代の現代小説』レベッカ・L・ウォルコウィッツ著(松籟社)
[レビュアー] 辛島デイヴィッド(作家・翻訳家・早稲田大准教授)
英語一強 翻訳から再考
生まれつき翻訳(Born Translated)! 複数の言語が飛び交う家に生まれ、文芸翻訳の魅力にとりつかれてしまった(?)自分のような「ホンヤク人間」が次々登場するのでは。
そんな勝手な期待はあっさり裏切られた。本書には、言語間翻訳の方法論や一般的にイメージされる「翻訳家」はほとんど出てこない。
英国のモダニズム文学の専門家で、米国の大学で教える著者は、文学界における英語覇権を再考するキーワードとして「翻訳」を用いる。英語を起点に作品がグローバルに翻訳されていく過程を追うのではなく、逆に英語のテキストに内在する広義な「翻訳」を掘り起こしていく。
「生まれつき翻訳」とは、翻訳されるのを前提に書かれたり、多言語を作品に組み込んだり、翻訳のふりをしたりする作品などを指す。これらの作品は、自分たちの国語で、自分たちのために書かれているのだという「ネーティブ読者」の感覚に揺さぶりをかける。
村上春樹、多和田葉子、オルハン・パムクなどの例も用いられるが、紙幅を割いて論じられるのは、J・M・クッツェーやカズオ・イシグロの両ノーベル文学賞受賞者をはじめ、英語で執筆している現代作家の長編。邦訳でも広く読まれている馴染(なじ)み深い作品が多い。
世界文学や翻訳の理論、そして拡大する文学の生産・流通システムの話が、本書に確固たる枠組みを与えている。が、その魅力は個々の作品の丁寧な「読み」だ。ジャメイカ・キンケイドなどの「移民作家」たちは、ときには二人称で読者に語りかける手法を用いながら、英語圏読者に他の読者の存在を意識させているとの論にはハッとさせられた。
本書からは「読書」や「読者」への厚い信頼が感じられる。専門書ではあるが、具体例を用いながら、開かれた文体で書かれている。文学を愛する「生まれつき読者」の皆さんにぜひお薦めしたい。佐藤元状、吉田恭子ほか訳。