サリン事件をモチーフに、現実と虚構が融合する超大作『曼陀羅華X』古川日出男

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曼陀羅華X

『曼陀羅華X』

著者
古川 日出男 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103060796
発売日
2022/03/15
価格
3,630円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

虚構(フィクション)化する現実

[レビュアー] 中村隆之(文学研究)

『曼陀羅華X』に登場する作家の「私」は、アメリカ南部の作家ウィリアム・フォークナーの「作家の値打ちは失敗の大きさで決まる」という発言を引き合いに出し、自らもまたそれに倣おうとする。実作者もまた同種の心構えで本書を書き続けたはずだ─勇壮かつ壮麗な失敗作として。

 ならば評者も失敗覚悟で本書を評しよう。

 本書は一九九五年から二〇〇四年までの東京を舞台とする。「私」は九五年の時点で数え年五十三歳、多くの小説を刊行してきた実力派だ。この年、教団は無差別の大量殺人を企図し、首謀者たる教祖の逮捕が目前に迫っている。そんな中、「私」は教団の分派に拉致され、教団を救うための予言の書の執筆を強要される。そうして書かれた予言の書は、未成年の女性信者に孕ませた教祖の子を「二代めの教祖」とし、その子が、逮捕された教祖を救出するよう女性の胎内から指示するという奇跡の虚構(フィクション)を創り、これを信者に実行させるのである。

 本書の現実の参照点はオウム真理教の一連の事件であることは言を俟たない。だがなぜ〈いま〉なのか。この事件は国家転覆を図ったという点で未曾有の出来事だった。文学的に言い直せば、これは、教祖/偽預言者が生み出し、信者が共有した物語だ。それが肥大化し、やがて現実そのものを呑み込もうとする。世間はそれを例えば「洗脳」と言うが〈信〉とは〈真理〉の名の下の虚構の共有ではなかったか。虚構創作は世俗では作家の領域に属する。フォークナーがみずから創造した物語世界の所有者だと宣言したように。

 二〇一八年七月、麻原彰晃ふくむ十三人の処刑後、本書の原型はどうやら書かれ始めた。本書はいわば偽史の試みだ。私たちは現実(教団の解散、教祖の死)を知っている。しかしこの現実とは何か。現実とは虚構と分離不能ではないのか。ならば小説家の出番だ。物語の中では教団は生き残る。啓という静かな子が生み落とされる。フィクションは現実を組み替えていく。

「私」はこの点に自覚的だ。ある箇所で「私」は自分の人生と登場人物の人生とを他人が区別できるとは思わないと述べる。「なぜならば、そうならないようにと私は鍛錬を積みつづけてきたからだ。」事実、現実と虚構の関係は錯綜する。その極みは「私」によるDJXの創出だ。これは実作者が創出したDJ産土(うぶすな)に対応する。現実の虚構化が起きている?

 連載時と大きな変化がある。連載十回目までには実は本書に存在しない登場人物の語りが挿入されていた。七三一部隊の小説を構想する三十七歳の作家、「私」の「ガールフレンド」の年の離れた妹ららの語りだ。「私」と対をなす、この両人物のパートが連載十一回目以降跡形もなく削除され、教祖の実名も消去されたうえで再編集(リミックス)されている。連載はこうした大胆な計画変更を経て二十回で完了した。この未完の物語をも潜在させる本書は、無数の始まりの予感をいよいよ湛えている。

河出書房新社 文藝
2022年夏季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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