Webで私的完訳までされ待望された究極の無神論 ニック・ランド『絶滅への渇望』

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絶滅への渇望

『絶滅への渇望』

著者
ニック・ランド [著]/五井 健太郎 [訳]
出版社
河出書房新社
ジャンル
哲学・宗教・心理学/哲学
ISBN
9784309231112
発売日
2022/03/29
価格
3,740円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

なぜだかわからないけど加速する

[レビュアー] 江永泉(「闇の自己啓発会」発起人)

 WEBで私的完訳まで試みられていた“待望”の書。ドゥルーズ+ガタリの“リビドー唯物論”を睨みつつ『バタイユ全集』片手に一発カマそうとする気概が滲む。それ自体ハイデガー『存在と時間』の二次創作めいたドゥルーズ『差異と反復』(探偵小説やSFや黙示録になろうとした本)の原作汚損的N次創作だと評せる。ただ自作詩や私語りの挿入は、バタイユの随筆感、人称性や越境性にかぶれた自意識の現れと映りもして、現代思想の我利勉として生真面目過ぎたランドの相貌を際立たせもする。キリスト教と講壇哲学への唾棄も軽挙に感ずるほど露骨。著者が大学から飛翔/墜落したのも、もっともな話だ。

 だが本書にこもったユートピア希求衝動じみた瘴気は、これを三十年前の遺物と憫笑したところで霧散すまい(幻視されるビジョンは絶滅なのだが)。とびきり低俗なフェイク広告にすらユートピア衝動が蠢くと説くブロッホと、醜悪な反ユダヤ主義すらも一種の文化的羨望を含む歪んだユートピア衝動だと論ずるアドルノ+ホルクハイマー。これらを挙げ「ヘゲモニーを握る支配階級の文化やイデオロギーですら、ユートピア的でありうる」と断じたのがジェイムソン『政治的無意識』だった。格言「つねに歴史化せよ!」で始まる同書の「結語」には、こんな一節もある。「文化テクストを記述する《機能論的》方法は、《未来予期的》方法とともに用いるべきである」。こうしたアメリカの理論家による文化運動のイギリス版としてCCRU(サイバネティック文化研究ユニット)やランドそして加速主義を再考する必要は、いまだ残る。むろん「結語」には危惧も記されていた。「ユートピア的な「肯定的解釈学」」が「とめどなく宗教的、神学的、啓発的、道徳的なものへと流れてゆき、[…]社会生活と文化生産を支配する階級力学がみえなくなるかもしれない」。全体性を志向する者を紋切型の独断論に落着させる陥穽。

 危険域に踏み込むランドの語りは、どこかアファメーション(唱えごと)じみても響く。“なぜだかわからないけど加速する”。それは決定した未来の叙述という体裁で言い募ってくる。祈り/呪いの文句など精読に堪えないだろうか。とはいえナンセンスと断じても悪魔祓いはできまい。乱雑に凝集した塊に脈打つ情念を認め、血管の張り巡らされかたを見極めねばならない。どのコードを切断すると止まるか判然としない時限爆弾の前に立ったように。

 いみじくも今年発表されたボカロ楽曲が、加速主義の、対峙すべき難所を示唆している。「上を向いても 振り返っても/どちらが前か わからないまま/加速する[…]僕らの未来は/ どこまでも 回る 空回りする」(TOMOKI++『加速主義で行こう! accelerationist a go-go』)。方向の喪失。でも、すでに動き出しているなら目を瞑っても止まらない。だから問いかける。答えを出して迷いを捨てるためではなく、いまどこへ進んでいるか確かめるために。繰り返し、こう唱える。“どこへ向かっての加速か”。

河出書房新社 文藝
2022年夏季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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