『朱色の化身』
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取材における個の尊重 『朱色の化身』
[レビュアー] 円堂都司昭(文芸評論家)
元新聞記者でライターの大路亨は、同じく元記者でガンを患った父から辻珠緒という女性と会えないかと依頼される。かつて大路が取材したこともある珠緒は、行方がわからなくなっていた。これが塩田武士『朱色の化身』の大枠だ。
同作は、珠緒周辺の人々の証言が並ぶ「第一部 事実」と、大路自身の視点から調査の進捗が語られる「第二部 真実」、そしていよいよ本人と対面する「終章 朱色の化身」からなる。話が進むにつれ、「序章 湯の街炎上」で書かれた昭和三十一年の福井県芦原(あわら)の大火(実際にあった出来事)が、珠緒の人生に及ぼした影響の深さがわかってくる。
温泉街で育った珠緒は、男女雇用機会均等法施行直後の銀行に総合職で入り勤めたものの、京都の老舗和菓子店に嫁ぐため退行。後にはゲームクリエイターとしてヒットを放っていた。男女差別が残る業界で頑張っていた彼女の寿退職や、銀行とゲームという業種の硬軟からすると、進歩的なのか保守的なのか、価値観がよくわからない。得た事実が増えても、なかなか像を結ばない。だが、大路は生活史を掘り起こし、彼女の隠された真実に迫っていく。
著者の丹念な取材に裏打ちされたディテールが、作中世界に迫真性を与えている。大学時代に冷戦と資本主義に関する優れたレポートを書いたという珠緒は、大局的な視野を持つ一方、身近な人間関係にがんじがらめになっていた。前半で人物像がはっきりしなかったのも、社会の矛盾、家族のゆがみを彼女が引き受けながら生きたためだろう。本作では取材における個の尊重が一つのテーマになっているが、個がどのように存在するのか、よく表現した物語だ。