大将軍・楽毅を獲得するために奔走した英傑・公孫龍を描いた歴史小説の読みどころ

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公孫龍 巻二 赤龍篇

『公孫龍 巻二 赤龍篇』

著者
宮城谷 昌光 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784104004294
発売日
2022/04/20
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

今や古代中国は

[レビュアー] 佐藤賢一(作家)

作家・宮城谷昌光による歴史小説『公孫龍 巻二 赤龍篇』が刊行。古代中国・戦乱の世に現れた謎の英傑・公孫龍の活躍を描いた本作に寄せた小説家・佐藤賢一さんの書評を紹介する。

佐藤賢一・評「今や古代中国は」

 歴史物には小説であれ、マンガであれ、はたまた映画、ドラマ、舞台であったとしても、人気の時代というものがあるようだ。日本の歴史であれば、戦国と幕末の二時代だ。NHKの大河ドラマをみても、手を替え品を替えで、戦国、幕末、戦国、幕末の繰り返しだ。これを外すと(今年がそうだし、個人的には好きなのだが)、けっこう苦しいほどなのだ。

 どうしてなのかと考えると、まず時代が魅力あふれる。ゆえに優れた作品が多く生み出されてきた。それは疑いないのだが、関連して人口に膾炙している、要するに馴染みがあることも大きい。待ってました、織田信長。いいぞ、豊臣秀吉。しぶいぞ、徳川家康。待ってました、坂本龍馬。いいぞ、西郷隆盛。しぶいぞ、土方歳三。そんな掛け声を発したくなるほど興奮する。ただ知った顔が登場するだけで、もう心が浮き立つのである。

 それが中国の歴史であれば、圧倒的な人気を誇るのは三国志の時代だろう。待ってました、劉備玄徳。いいぞ、孫権仲謀。しぶいぞ、曹操孟徳――いや、諸葛孔明、関羽雲長、張飛益徳、周瑜公瑾と、際限なく名前が出てくる。これと比べられるとすれば、さらに遡る古代、項羽と劉邦の時代くらいではないかと私は思う。それも以前は項羽と劉邦の一点買いというか、その物語を始める都合で、秦の始皇帝の時代から描かれるくらいのものだった。ところが近年、その軸が微妙に前にずれたというか、広がったような気がしている。遡った春秋戦国時代まで含めて、大人気の時代に長じたように思うのである。

 マンガでは、若き始皇帝の時代を描いた『キングダム』(原泰久作)が愛されている。三国志ものの傑作『蒼天航路』に続いて、春秋戦国時代を活写している『達人伝』(王欣太作)も、ファンの心をがっちりつかんで放さない。待ってました、孟嘗君。いいぞ、項燕。しぶいぞ、李牧。こんな調子で三国志や日本の戦国、あるいは幕末と全く同じに、大いに盛り上がれるのである。もはやブームだ。しかし、どうして――。

 孟嘗君も、項燕も、李牧も、一部の専門家、教養人なら、かねて通暁していただろう。しかし近年のように人口に膾炙するほどではなかった。冷静に考えれば古代中国の歴史であり、現代の日本人がこれだけ知っているというのは、やや異常なことかもしれない。それが当たり前になったとすれば、当たり前にした人間がいるということだ。誰かと問えば、宮城谷昌光だと答えるのは、たぶん私だけではない。『重耳』、『晏子』、『介子推』、『孟嘗君』、『楽毅』、『太公望』、『子産』、『管仲』、『孔丘』と、春秋戦国時代の英雄英傑を描き続け、その歴史の興趣を日本人に教えた作家を、他にみつけられようか。

 その宮城谷昌光が、ブームの震源地、自身には本拠地であろう古代中国、春秋戦国時代に帰ってきた。昨年一月に「巻一 青龍篇」が出され、この四月に「巻二 赤龍篇」が刊行、さらに巻三、巻四と予定される大作『公孫龍』である。主人公の公孫龍――百科事典的にいえば、趙の平原君の食客であり、政治家、また名家(良家、旧家の意味でなく、諸子百家の一学派、英語にいうスクール・オブ・ネームズ)を代表する思想家だ。おお、平原君か、斉の孟嘗君、魏の信陵君、楚の春申

君と並ぶ戦国四君のひとりかと、もう嬉しくなってくる。平原君は『キングダム』では死んでいて、『達人伝』では結構な年齢である。それが『公孫龍』では、巻二でも十代の少年だ。『キングダム』の二世代前、『達人伝』の一世代前の話になるか。

 この公孫龍だが、宮城谷昌光は元が周の王子だとして、物語を立ち上げる。人質として燕に送られるが、それが陰謀だとわかると、身分を捨て、一介の商人、公孫龍として生きることに決める。折りしも、趙の公子、趙何、趙勝の二人を賊から助けたばかりで――というのが巻一だ。この二人の公子こそ、後の恵文王と後の平原君なわけだが、巻二では、その趙の王位継承にまつわる争いに巻きこまれる。さらに燕に移ると、この国では楽毅を獲得するべく奔走する。稀代の軍略家、大将軍で知られる、あの楽毅だ。通じて公孫龍は大活躍なのであるが、できる、できないの以前に、その言動どこまでも爽やかであり、もう心が震えて仕方がない。これは単なるブームとかじゃなく、日本人こそ古代中国の歴史をつぶさに伝えられて、今やその清々しい心の正統継承者なんじゃないかと思えてくる。

新潮社 波
2022年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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