コマツと世間のスキマ

レビュー

3
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怪虫ざんまい

『怪虫ざんまい』

著者
小松 貴 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
自然科学/自然科学総記
ISBN
9784103517924
発売日
2022/04/21
価格
1,650円(税込)

書籍情報:openBD

コマツと世間のスキマ

[レビュアー] 丸山宗利(昆虫学者)

丸山宗利・評「コマツと世間のスキマ」

 誰もがコロナ禍で鬱々とした毎日を送っている。日々の糧を得るのに苦労されている方も少なくないなかで、贅沢な話と言われればそれまでだが、私たちのような野外調査を仕事にする研究者にとって、思うように調査や旅行に行けないというのは、多くの人が考える以上に厳しい状態である。例えるならば酒好きの人にとっての禁酒法、論客にとっての焚書のような息苦しさと辛さがある。そんななかで、ひとえに家族の健康を守るため徹底的に遠出を禁じ、手近な昆虫を調査しながら奮闘する昆虫学者の日々を描いたのが本書である。

 実は著者であるコマツ君と私の付き合いは長い。彼が「田舎の大学」で卒業論文を書こうという計画の段階で知り合って、かれこれ20年近くになる。それからは相棒として、日本中、世界各地を一緒に旅することになった。

 本書を少しめくればわかるが、彼は少し個性的だ。いや、遠慮して少しなどと言っては逆に失礼かもしれない。とても変わっている。初めて会った時には虫の話以外はほとんどできないくらいに社会性がなく、その分の能力を珍種の発見に注ぎ込んでいるように思えたほどである。ただコマツ君は、それ以上に、これまで私が会った人々の中で、もっとも輝く瞳を持ち、誰よりも誠実な人間である。付き合いの浅い人間には、彼の変人ぶりを嗤う者もいたが、彼の知識や深い洞察力を知れば、たちまち己を恥じることになる。

 余談だが、本書で初めてその存在を明らかにされる奥さんも私はよく知っている。「コマツ君は一生独身だろう。こうやって毎日虫を見ながらひとりで生きていくに違いない」などと私は勝手に思っていたので、彼から結婚する話を聞き、その相手の名前を知った日には、それこそ天と地がひっくり返るのではないかと驚き、同時に「あの人(奥さんのこと)、わかってるな」と感心と喜びに包まれたものである。

 前置きが長くなったが、本書ではまず、そのコマツ君が、身近な自然環境で驚くような発見をくりかえす様子がつづられている。地下水に住む謎の生物の発見から、絶滅危惧種を追い求める話まで、さまざまな珍種との出会いは非常に面白く、彼の常人離れした観察眼の面目躍如である。ただ、珍しい生き物との出会いは容易ではなく、それゆえ彼は“挙動不審”をくりかえす。凍てつく夜に地を這ったり、昼日中に井戸水を汲み続けたり……調べて考えて動く、まさに研究者の鑑だ。

 また、珍種発見談も興味深いが、彼の目線からつづる現代の人々や環境への思いも、本書の見どころである。たとえば、捕獲されたシカを保護しろという芸能人や、カエルの串刺しを生贄にする神社の行事に抗議した人の価値観の狭さに憤る。そういう人たちにかぎって、開発によって森が丸ごと切られ、何万という生き物が死ぬことには全く無関心で、抗議などしないからである。SNSの発達で、一億総評論家の世の中、誰もが針の穴から覗いた世界に対して、短絡的に物事を決めつけ、訳知り顔で意見する。私も確かにその通りだと思ったが、ややあって、彼はこの洞察を自らに突きつける。

 コマツ君は、昆虫への愛着もあり、公園の樹液に集まるスズメバチを駆除した管理人に対して怒りを覚えた。しかし、奥さんの指摘により、それは捕獲されたシカを保護しろという人と根は同じだと気付き、自省する。私も彼とまったく同じ思考回路だった。SNSによって色濃く浮かび上がった価値観の多様化は、物事の良し悪しを安易に決めつけることの危うさをも教えてくれる。

 とにかくコマツ君が観察し、分析する社会への見方は、辛口ではあるが独特で面白い。彼が変わっていることは確かだが、私を含む多くの人々と異なり、世間ずれし切っていないからこそ、導かれる見方なのだろう。ある意味、諦観のようなものを持たない、彼なりの人間への興味と愛のようにも思える。もしかしたら、本書につづられる彼の価値観と「一般的な常識」のスキマにこそ、私たちは真実に近いものを見出せるのかもしれない。

 ちなみにコマツ君は、珍種発見の喜びをつづりながらも、自分がどうして珍種の生き物を見つけたいのかと、自己分析する。虫マニアの性もあり、失われつつある自然を守りたいという気持ちもあるようだ。私はその謙虚さに心を打たれつつ、実は彼が最後まで探しに探し求めていた某ゴミムシが見つかるかどうかに気をとられていた。私はそいつを学生時代に採ったことがあるんだぞと自慢したくなってしまったのは恥ずかしい話である。

新潮社 波
2022年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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