日本企業は社会に「新しい絵」を描けるか

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デザイン経営

『デザイン経営』

著者
鷲田 祐一 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/経営
ISBN
9784641165922
発売日
2021/12/24
価格
2,750円(税込)

書籍情報:openBD

日本企業は社会に「新しい絵」を描けるか

[レビュアー] 古川一郎(一橋大学名誉教授・武蔵野大学教授)

デザイン経営を考える理由

 最近スマートウォッチを身につけている人を見かけることが多くなった。健康意識の高まりを受けて、歩数計、心拍計、睡眠の質を計測したり、いろいろな運動に対応して消費カロリーなどのデータを記録したりする機能がついている。また、スマートフォンと連動することで様々な機能を発揮する。ただし、日常的に測定されたデータや多くの機能を使い分けて活用している人は少数であり、しかもスマートウォッチの機能には製品間にそれほど大きな違いがない。それにもかかわらず高価格なApple Watchのシェアが圧倒的に高いのはどう理解したらいいのだろうか。同じように、スマートフォンのシェアも、先進国ではiPhoneが圧勝している。興味深いのは、Apple社は機能的には同等の製品との競争において低価格戦略を取らずに、ビジネスモデル、ユーザー体験、製品デザインで差別化することで競争優位を実現し、加えて数量的にも大勝利を収めている点である。

 機能的にはそれほど違いがないものを競合他社よりも高価格で大量に売ることができれば、コストが同程度なら流入するキャッシュフローが増え、企業価値の現在価値も高まることになる。ブランドが持つ価値は、経済学ではこのような文脈で説明される。理屈の上では規模の経済が働けばマーケットシェアの高い製品の製造コストは相対的に低くなり、Apple社のブランド資産はさらに大きくなるはずである。

 実際、Apple社のブランド資産は莫大である。例えば、インターブランド社は毎年、世界の主要ブランドのブランド資産を公表しているが、2021年のAppleのブランド価値は世界1位で、おおよそ4000億ドルと推定されている。トヨタの時価総額が30兆円程度なので、Appleは無形資産であるブランドの価値だけでトヨタを上回っていることになる。ちなみにトヨタのブランド価値は世界7位で、540億ドル程度である。

 このようなブランドの価値に着目し、マーケティングの観点から体系的に考察したパイオニアは、カリフォルニア大学のデイヴィッド・アーカーである。アーカーは短期的ではなく長期的な視点からブランド管理することを推奨しているが、残念なことにグローバル企業のブランド価値や時価総額のランキングにおいて数十年前に世界を席巻していた日本企業のプレゼンスは雲散霧消してしまった。多くの日本企業はブランドの重要性を理解し、現在でも真面目に努力し続けているはずである。一体何が起きたのか。日本の産業構造に問題があるとしたら、その問題を克服していくためのきっかけをどこに求めればいいのだろうか。このような課題に対して、デザイン経営というキーワードで切り込んでいるのが本書である。

 実は、デザイン経営というテーマは著者のライフワークである。本書は、デザインと経営に関する著者の書物としては、前著の続編と位置付けることができる(1)。著者自身が前作で投げかけた様々な問いに対して、多様な調査データに基づいて回答が示されている。結論を先に述べておくと、日本企業が取り残されたのはデザイン軽視の経営にあるというのが著者の主張である。そして、デザイン経営は現代日本の産業構造改革を推進することにつながり、「情報で社会に絵を描く」という行為が日本企業復活には必要であるという。以下では、まず本書の概要を紹介したい。

デザインは今までなかったものを生み出す力

 感度の高い先端的な人・組織の間では、すでに、経営においてデザインが意識され実践されることで成果が出ている。しかし、そうではない大半の人・組織にはデザインの重要性すら認識されていない。同時代の日本でなぜこのようなちがいが起きるのであろうか。この問いかけから、本書は始まる。

 まず第1章では、“デザイン”という言葉の定義について考察している。原義は「設計」という意味を持つが、明治以降の日本の歴史的な経緯もあり、今日でも“デザイン”という言葉のイメージは人により異なる。そこで本書では、まず「狭義のデザイン」、「広義のデザイン」、「経営のデザイン」という3段階で“デザイン”を定義している。狭義のデザインは最も一般的な意味のデザインであり、色や形を示す。広義のデザインは製品・サービスの技術的な“設計”という意味であり、さらにユーザー体験のデザインも含まれる。そして、経営のデザインとは、ビジネスモデル、エコシステム、企業組織のデザインを指す。第1章の後半では、このようなデザインの階層性を理解し、企業経営の中でデザインを活用できている企業ほど業績が良いことがデータから示される。

 続く第2章では、第1章で大幅に意味が拡大されたデザインという概念における、広義のデザインとマーケティングとの関わり合いについて考察している。情報技術が浸透した現代社会において、ユーザー体験をデザインすることは、マーケティングの中心的な課題になっている。そこで、顧客との多様なタッチポイントにおいてどのようなユーザー体験のデザインを考えるべきなのかといった点を、データに基づいて考察している。

 第3章では、デザイン思考について説明している。これまでにないユーザー体験を創造するためには、今までになかった問題解決のアイデアを構想しそのレベルを高めていく必要がある。そのための手法として注目を集めているのがデザイン思考である。スタンフォード大学のd.スクールが開発したデザイン思考を、そのプロセス図に従って、共感、問題定義、創造、プロトタイピング、テストの5つのステップに分けて、簡潔に解説している。そして、このようなデザイン思考は残念ながら日本では活用されているとは言えない現状をデータで示しながら、その原因を探っている。

 第4章では、なぜ日本企業はデザインを軽視するのか、その打開策として期待される2019年に実施された意匠法の改正がどのような可能性を持つのかについて考察している。従来の意匠法が対象にしてきたデザインは、何らかの物品に付帯している色や形の美観であったのに対し、改正法では「その機器の機能に関連する画像」まで保護範囲となった。筆者はこの改正を「美観から機能へ」というデザインという言葉の意味を拡大する上で極めて大きな変化であると位置付けている。しかしこのような国の法制度における歴史的な大改正にもかかわらず、残念ながらその認知は非常に低く、アメリカ、EU、中国、韓国との対比からも日本企業の知財戦略の認識不足と立ち遅れが目立つ。その原因がデザイン経営に対する理解不足であることがデータから示唆される。

 第5章では、費用対効果という観点から、デザインの効果を測定するための課題について考察している。そして、経営者・事業責任者が適切にデザイン組織を評価するための手法の開発を目的として、一橋大学データ・デザイン研究センターとソニー、パナソニック、富士通、資生堂などの企業との産学連携の研究プロジェクトの一端が紹介されている。また、ブランド、イノベーション、ネットワーク効果といった観点からもデザインの評価を行う必要があることを述べている。

 第6章では、新製品開発の意思決定プロセスの最上流工程におけるデザインの役割を示し、このようなデザイン経営に必要な高度人材育成について考察している。重要なのは、アブダクションによる仮説構築により「未来の想定外」を構想することができる人材の育成であり、計算機のアルゴリズムを理解できるタイプではないことが強調されている。

 最後の第7章では、デザイン経営の実現・推進のために避けて通れない情報産業の構造改革について考察している。「今までになかったもの」を生み出す力が企業にとって重要になったことが、従来の延長線上で考えられた技術開発や企業会計的な発想で経営を継続することを難しくしている。そして、SNS、IoTといった情報技術の活用を前提にユーザー体験がマーケティングの中心に置かれるようになったことで、「ものづくり」経営の偏重は追い詰められているのである。さらに、このような変化、DXを産業全体として推し進めるためには、どのようなタイプの人材が重要なのかをデータから考察している。

 最後に、巻末の付録として、デザイン経営を考える上で参考になる、経営の一線でデザインに向き合っている実務家とのインタビューのエッセンスが収録されている。

デザイン経営の本質を考える

 ここで、読者に誤解を与えかねないと思う点をいくつか指摘したい。まず、新製品開発プロセスの最上流でデザインが重要な役割を果たすとして引用されている、アーバン=ハウザー=ドラキアの書籍は学部生向けのマーケティングの教科書であり、アーバンとハウザーのMBA向け教科書の簡易版である(2)。どちらの書籍も、MITらしいマーケティング・サイエンスの考えを柱にして数々の数理的モデルを紹介しつつ新製品開発のプロセスを説明しているが、ここで使用されているデザインという言葉は決してデザイナーがデザインすべきであるという意味ではない。

 また、本書のデザイン思考を考え実践し普及させた主役の一人であるケリーはその著書において、未開の地でフィールドワークをするような文化人類学者などをアイデア創出のチームに入れることが重要であると説いているが、これは今までになかったアイデアを創造するためには多様な才能が自由闊達に議論し考え抜くことが必要であることを言いたいからである(3)。この点については有効最小多様性(問題の複雑性に対応した知識の多様性がチームになければ解決できない)の問題として野中・竹内の『知識創造企業』でも触れられている(4)。

 デザイン経営はデザイナーの集団が経営することではなく、デザイナーが得意としているような発想法を、個々人、組織、社会の中に取り組むことが重要であるということであろう。企業の中でこの役割を果たす中心がデザイン部門であったとしても、少なくとも解決する問題に対応した多様な才能が必要となろう。

 デイヴィッド・アーカーは、経営者の“ブランド”についての認識が狭く近視眼的であることを批判しブランドの重要性を説いたが(5)、デザイン経営の現状はそのときと類似しているように思われる。アーカーの書籍が刊行されて以来、多くの研究者がブランドについて実証研究を行い、測定尺度を開発し、様々なケースで効果測定を行うことでブランドの重要性を確認し、企業経営におけるブランドの意味や重要性の認識が定着していった。デザインについても同様のプロセスが必要であろう。経営者層を含めて社会全体のデザインに対する認識を変えるためには、まずはデザインの効果を可視化、そのための尺度開発や効果測定・分析といった実証的研究の蓄積が求められよう。幸いなことに、著者が所属する一橋大学データ・デザイン研究センターにおいて、産学連携での先駆的な取り組みが始まっているようである。今後の研究成果に大いに期待したい。

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(1) 『デザインがイノベーションを伝える――デザインの力を活かす新しい経営戦略の模索』(有斐閣、2014年)

(2) Urban, G. and J. R. Hauser, Design and Marketing of New Products, Prentice Hall, 1981.

(3) トム・ケリー=ジョナサン・リットマン、鈴木主税訳『イノベーションの達人!――発想する会社をつくる10の人材』(早川書房、2006年)

(4) 野中郁次郎・竹内弘高『知識創造企業』(東洋経済新報社、1996年)

(5) Aaker, D., Managing Brand Equity, The Free Press, 1991.

有斐閣 書斎の窓
2022年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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