急逝した女性学のパイオニア、井上輝子 最後のメッセージ

レビュー

4
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日本のフェミニズム

『日本のフェミニズム』

著者
井上 輝子 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/社会
ISBN
9784641174733
発売日
2021/12/08
価格
2,420円(税込)

書籍情報:openBD

急逝した女性学のパイオニア、井上輝子 最後のメッセージ

[レビュアー] 上野千鶴子

 意欲的な書物である。

 タイトルからして『日本のフェミニズム――150年の人と思想』と直球勝負。150年といえば日本の近代化の始まりからポスト近代までの時間の幅を含む。残念ながらご本人の予期せぬ急逝で、未完に終わった。著者の痛恨の思いのみならず、読者のわたしたちにとっても痛恨の思いを残して。

 井上さんは書く、「フェミニズムの課題の全領域をマップ化」しようと。そして「これは私にしかできない仕事だと自覚。」[本書180頁]自覚は自負でもある。そのとおりだということが読めばわかる。

 ひとりの著者が通史を書くことの大切さは、歴史学の分野でも言われてきた。ご本人が「女性史に多少頭をつっこん」だことが「わたしの原点」だと自認するとおり、複数の主人公たちが登場する大河ドラマのような重厚な女性史記述になっている。わたしは、このひとの初期の著作、『女性学とその周辺』(勁草書房、1980年)の第1章「恋愛結婚イデオロギー」を思い出した。「恋愛」をキーワードに近代100年の歴史を通観した圧倒的な叙述だった。「対幻想」(吉本隆明)が流行していた時代に、「恋愛」の歴史と幻想性を徹底的に暴く、緻密な論考だった。

 本書が扱う時代は明治維新(1968)から2000年代まで。それを4つの時代区分に分ける。I期(1868~1945)「イエ」制度に抗した第一波フェミニズム、II期(1945~1970)日本国憲法による男女平等保障の下で、III期(1970~1999)第二波フェミニズムの勃興とその後、第IV期21世紀における新たな展開。この4期を以下の多層的な次元に分けてチャートをつくる。1.女としてのアイデンティティの主張と問いなおし、2.政治参画、3.雇用労働、4.結婚・家族、5.子育て、6.リプロダクティブ・ヘルス/ライツ、7.セクシュアリティ、8.性搾取・性暴力の8項目である。チャートマップは本書の10-11頁にあり、これが本書の見取り図となる。チャート化がいかにも社会学者らしい。歴史社会学の実践と言うべきだろう。残念ながら本文は第II期の8で中断する。その後に構想をメモした断章が続く。完成していたらどれほどの次世代への贈り物になっただろうか。いや第II期まででも、じゅうぶん読み応えがある。そうか、そうだったのか、わたしたちはこの道を辿ってきたのか、と。

 第II期で中断したあとのメモには、第III期以降で「私でないと書けない、書きたいことがいくつかある」とある。なぜなら第III期以降を、井上さん自身が当事者として経験したからである。たとえばウーマン・リブの評価、市川房枝とウーマン・リブ、中ピ連について。簡略なメモでも井上さんの思いは伝わる。聞きたい、知らずにいられない。そう思う人は本文を読んでほしい。

 本書を井上さんに書かせたきっかけは、2018年におけるメキシコでの国際女性会議で、「日本のフェミニズム史」の講演を要請されたことだった。わたしもまた講演者のひとりとしてその場に立ち会い、主催者であったエル・コレヒオ・デ・メヒコ(メキシコ大学院大学)教授の田中道子さんと、井上さんの3人で現地で鼎談をした。その鼎談の内容は、こちらに公開してある(https://wan.or.jp/journal/details/13)。国内での講演では「日本のフェミニズム史」といった俯瞰的な主題について話す機会はめったにない。国外だからこそ井上さんにふられたお題を、井上さんはまたとない機会として捉えた。その現場と過程に立ち会った者として、わたしには証言の義務がある。井上さんはこの講演のために日本のフェミニズム史を振り返り、「女性史研究は、あまりにも偏りがありすぎ、バランスを欠き、意外な事実が発掘されていないことを発見した」。[本書181頁]事実、本書を読む過程で、わたしは自分も知らなかった事実にたくさん目を開かされた。井上さんにこのプロジェクトの構想を抱かせたメキシコ会議に感謝したい。

 過去を知らない者は未来へも盲目であると言われる。人生の最後に本書を託してくれた、これは井上さんからわたしたち後続の世代への遺産と言うべきだろう。

 未完に終わったPart I「日本のフェミニズム」に加えて、Part IIには、井上さんの最終講義やシンポジウムでの発言等が収録してある。圧巻はやはり、最終講義で述べられた女性学との関わりである。井上さんは宣言する。

「私たちは日本の女性学を創ってきた。」[本書271頁]

 日本の女性学の創始者の称号は、彼女に捧げられるべきである。

 そして「約40年の間、私は、日本の女性学とともに歩んできた」[本書274頁]と。

 その過程にいくらか関わった者として井上さんの功績を、ここに記しておきたい。アメリカにWomen’s Studiesというものがあるようだという松井やよりさんの報告を、71年夏のリブ合宿で聞いた井上さんは、これが私のやりたいことだ、と直観する。当時流行りだった地域研究や環境研究などの学際的なアプローチのひとつにすぎなかったinterdisciplinary studies on womenを「女性学」と訳したのは井上さんである。どう考えても「学際的女性研究」としかならない英語を、「女性学」としたのは「創造的誤訳」だったとわたしは指摘したが、その事情を2012年に和光大学退職に当たって行われた「最終講義」で回顧して、こう証言する。

 「私たちがなぜ、Women’s Studiesに「女性学」という訳語を当てたかといえば、なによりもまず、従来の「婦人問題研究」の枠を破りたかったからです。私に言わせれば、「婦人問題研究」は、男性並みの社会的権利の獲得をめざす、第一波フェミニズムの学問版であり、男性中心の学問世界の片隅で、男性たちによってつくられた概念や理論を「婦人問題」に適用するという、きわめて慎み深いもので、学問世界自体のパラダイム転換を図るという大それた野望などは、みじんも持ち合わせていないように思えました。」[本書289頁]

 話し言葉とはいえ、井上さんの穏やかな風貌を知るひとにとっては驚くような戦闘モードの発言である。

 もう一つの理由として、こうも説明する。

 「確かにWomen’s Studiesを直訳すれば「女性研究」なので、それを使用してもよかったわけですが、私は男性たちによってしばしば語られてきた女性についての論(女性論)や女性についての研究(女性研究)に回収されてしまうことを恐れました。むしろ、女性たち自身の問題意識に基づく、新しい学問のディシプリンを用意したいという志をもって、「女性学」と名付けたわけです。」[本書289頁]

 そして女性学を「女性を考察の対象とした、女性のための、女性による学問」と定義した。

 「この「女性による」は、私の女性学の原点であり、誰がなんと言おうとも譲れないポイントでした。」ご自身が述懐するように、「この点こそが、後にさまざまな物議をかもした点でもありましたが。」[本書291頁]

 続く講演の中では、彼女は「物議」の内容に触れていない。だが、学問が「客観・中立」でなければならないという「神話」(今日でも流通しているが)のあるアカデミアでは、この定義が猛反発を引き起こしたことを、わたしは記憶している。「女が女を研究すれば客観的でない」のみならず、「男は女性学に参入できないのか」、果ては「女のひとたちは理論が弱いからボクがやればうまく行くと思った」というパターナリズムまで。だが男性にとって「排除」と見えたこのメッセージは、わたしのような後続の世代には、まっすぐに届いたのだ。そうか、わたしがわたしを研究対象にしていいのか、と。なぜなら、女であることは、どの女にとっても巨大な謎(どうして女だからという理由でこんな目にあわなければならないのか)だったからだ。そしてまた、わたしのことはわたしがいちばんよく知っている、女が何を経験し、どんな感情を味わうかを、あんたたち男に教えてもらう必要はない、と。21世紀に入ってから「当事者研究」が登場したとき、既視感があった。これなら知っている、わたしたちは昔からやってきた、と。今日わたしが女性学は当事者研究のパイオニアだった、と言えるのは、井上さんのこの定義のおかげである。

 男たちは? 勃興する女性学に関心を持つ男たちは何人もいた。当時わたしはこう思ったものだ。これまでさんざん学問から女を排除しておいて、新しく勢いのある研究分野が登場すると成果を横領しようとする。そんなヒマがあったら、自分の目の前の蠅を追う方が先だろう、と。つまり「男であること」の自省的な探究を男自身の課題として取り組むべきだろう、と。事実、その後、フェミニズムを経由した男性による内省の学問としての男性学が次々に誕生した。

 後にジェンダー研究が成立して、そこに男女の研究者が参入していくようになった。「女性学はジェンダー研究に解消できるのだろうか」という問いに対して、井上さんは「言うまでもなく、私の答えは「否」だ。」[本書278頁]「変革や運動の匂いのする「女性学」よりは、中立的なアカデミックな匂いのする「ジェンダー」の方が、受け入れられやすい」という理由で「ジェンダー」の用語が流布していった[本書279-280頁]という「アカデミズム化傾向」への警鐘でもあるが、なによりも「女性の経験の言語化・理論化」という女性学の初心を忘れないためであろう。

 90年代に入ってから、わたしは井上さん、江原由美子さんとともに、フェミニズムのレガシーをつくる重要なしごとをいくつかやりとげた。『日本のフェミニズム』全7冊別冊1(岩波書店、1994-95年)、『新編 日本のフェミニズム』全12巻(岩波書店、2009-11年)、『岩波 女性学事典』(2002年)である。このしごとは井上、江原、上野という社会学者トリオが主として担ったが、そのトリオの中心にいたのはいつも井上さんだった。『女性学事典』の編者のなかには、「女性学」を冠することに抵抗を示すひともいたが、押し切った。のちにWAN(Women’s Action Network)のサイトにオンラインジャーナル「WAN女性学ジャーナル」を開設し、その初代編集長に井上さんに就任してもらったときにも、「女性学」ということばを手放さなかった。

 井上さんの晩年をWANのミニコミ図書館のメンバーとしてご一緒した者として、お人柄にも触れておきたい。井上さんは和光大学退職後、「ジェンダーフォーラム読書会」という自主的な勉強会を立ち上げられた。その趣旨は「ジェンダーについての知識量や学問的蓄積の多寡にかかわらず、それぞれの参加者が、誰にも気がねせずに、平場で自由に発言し、自分とは異なる意見や感想にも聞く耳をもてる場と雰囲気をつくることであった。」[本書311頁]身近に接した井上さんは、そのことばどおりのふるまいをするひとだった。わたしはいつのまにか、この大先輩を「輝子さん」と呼び始めていたのだ。

 書評のつもりがいつのまにか追悼文のようになってしまったことを、ご容赦いただきたい。

 本書をご本人も予期しない急逝に合わせて、心胆を砕いて遺著として刊行したのは、井上さんと長期にわたって伴走してきた編集者の満田康子さんである。本書の成り立つ過程で、満田さんご本人も痛切な喪失を味わわれた。本書はそのいくつかの喪失に捧げられた墓標のように思える。

 遺著とはいつも哀しい。井上さんの文章はこれ以降、1行も増えない。この問題についてどう思うか、井上さんの意見を聞きたくてももう聞けない。今はただ、この日本の女性学を牽引した女性と、同時代を生きたのみならず、共にしごとをやりとげたことの仕合わせをかみしめたい。

有斐閣 書斎の窓
2022年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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