『ハレム 女官と宦官たちの世界』小笠原弘幸著 (新潮選書)

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ハレム

『ハレム』

著者
小笠原 弘幸 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
歴史・地理/外国歴史
ISBN
9784106038778
発売日
2022/03/24
価格
1,815円(税込)

書籍情報:openBD

『ハレム 女官と宦官たちの世界』小笠原弘幸著 (新潮選書)

[レビュアー] 森本あんり(神学者・東京女子大学長)

王位断絶防ぐ冷徹制度

 題名を見て、つい官能と淫蕩(いんとう)の秘園を想像してしまったあなた。ぜひ本書を手にとってみてください。ハレムの歴史的実像は、高度に発達した官僚組織であり、王位継承のための冷徹で効率的な統治制度であることがわかります。

 六百年も続いたオスマン帝国の至聖所にあるプライベート空間のことゆえ、著者は注意深く「詳しくはわからない」と繰り返すが、ハレム研究はここ十年で爆発的な興隆を見たという。

 読後に大きく見方が変わったのは、ハレムが歴史的には世界標準だったということ。規模や構成こそ違えど、いわゆる「後宮」の制度は世襲の君主制国家ではむしろ普遍的で、キリスト教のもたらした一夫一婦制こそ例外だった。ハレムは、王位継承者を確保して断絶の危険を防ぎ、かつ継承争いを未然に防ぐための人類史的な知恵である。だから目的の達成には徹底した合理性が貫かれる。新しいスルタン(君主)が即位すると、兄弟はみな殺されるか、控えとして死ぬまで幽閉されるかのどちらかである。

 イスラム法では、妻は四人までだが女奴隷と性関係を結ぶのは自由で、奴隷の子も正妻の子と同権である。親族には寝首をかかれる危険があるので、近習や側近はすべて奴隷の方が安心だ。同じくイスラム法ではムスリムを奴隷や宦官(かんがん)にすることが禁じられているので、彼らの多くは外部世界からもたらされた。白人は昨今話題のコーカサスやウクライナから、黒人はキリスト教国エチオピアから。去勢術の具体例は読むのも辛(つら)い。術後の死亡率も高く、宦官は高価な商品だったという。他に、小人や唖(あ)者(しゃ)なども登場するが、こうした文化は明らかに現代の人道・人権感覚から外れており、ハレムが今日の公的世界から姿を消したことも理解できる。

 空白を嫌うアラベスク模様のように詳細な史実の洪水で圧倒されるが、振り返るとそこには何もない。埋もれかけた砂の中に、美しい廃墟(はいきょ)がわずかに肩をのぞかせているだけである。

読売新聞
2022年5月13日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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