『私の中のこの邪悪な感情をどうしよう?』の著者・石井裕之が語る 不寛容な時代からこそ心掛けてほしいこと

インタビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

私の中のこの邪悪な感情をどうしよう?―自分のこころを壊さないためのヒント

『私の中のこの邪悪な感情をどうしよう?―自分のこころを壊さないためのヒント』

著者
石井 裕之 [著]/押切 佑美 [著]/小川 めぐみ [著]/大槻 弥生 [著]
出版社
祥伝社
ジャンル
社会科学/社会科学総記
ISBN
9784396617790
発売日
2022/03/31
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『私の中のこの邪悪な感情をどうしよう?』の著者・石井裕之が語る 不寛容な時代からこそ心掛けてほしいこと

[文] 祥伝社


著者 石井裕之さん

「自分の居場所がない」「自信が持てない」「消えてしまいたい」「不安や恐れを感じる」。こういったネガティブな感情で自分を壊さないためのヒントをテーマにした書籍『私の中のこの邪悪な感情をどうしよう?』が刊行された。

 著者は、『ダメな自分を救う本』や『「心のブレーキ」の外し方』などのベストセラーを執筆するパーソナルモチベーターの石井裕之さん。

 先日、刊行を記念して開催された書店「丸善丸の内本店」(東京千代田区)主催のオンラインイベントでは、本当に多くの方が参加をされ、大きな反響を呼びました。

 旧来より不調に陥ってしまう人の多さを懸念し、11年ぶりの新刊を刊行した石井さんに不寛容だと感じることが多いときこそ心掛けてほしいことを、オンラインイベントでのお話をもとに語っていただきました」。

▼「無理しないで休んでくださいね」に隠された本心

――「無理しないで休んでくださいね」という声がけが、実際には「救い」になっていないという話にドキッとしました。

石井 体調が悪いときに、「無理しないで休んでくださいね」と言ってくれる人はたくさんいます。でも、「私が代わりに仕事をやりますから、休んでください」と言ってくれる人はほとんどいません。

そこになにが欠けているのかというと、「関わり」です。相手の状況を外から見て正論を言うのではなくて、相手の状況の中に自分も入っていく。それが「関わり」です。

――「無理しないで休んでくださいね」は、思いやりある言葉のようですが、言われたほうは、しんどくなります。「休んくださいと言われても、私がやることは無くならないのに…」とモヤモヤが残ります。

石井 「手伝えることがあれば手伝うよ」という一言でもあれば、違うのでしょうけれど。

▼人間がAI化する

――他にどんなことから「関わり」が欠けていると感じますか?

石井 「AIが発達して人間の仕事がどんどんAIに置き換えられる。人間の仕事がなくなってしまう」とよく言われます。

しかし、AIに仕事を乗っ取られるということよりも、もっと怖いのは、人間がAIみたいになってしまいつつある、ということのほうだと思います。

AIの進化によって、人間がもっと人間らしい創造的な仕事ができるようになるというのではなくて、逆に人間がAIのように、画一的で冷たくなっていく。

人と人が表面的に無難にやりとりしていくだけになって、「関わる」ということがどんどんなくなっていく。

――人間がAI化するんですね。それは、マニュアル通りだけの対応を受けると感じる、あの違和感ですね。

石井 「そのほうが面倒くさくなくていいじゃないか」という面もあります。

でも、こうした「人間のAI化」の背後になにが隠れているのかということを考えてほしいのです。

▼「違う立場の人を否定する」社会

――「関わり」がなくなっていくなかで、より「人間のAI化」を進めている要因は日常のどんなところに現れていますか?

石井 いまは自分と違う立場の人たちのことを、容赦なく徹底的に否定するようになりました。

――たしかにそうですね。容赦ない否定の言葉に、こころが壊れそうになることがあります。立場が違う人や、自分と違う意見を持っている人を否定してしまうのは、なぜでしょう。

石井 これは、人間のたましいの「進化」における、影の部分です。民族や性別ではなく、個人としての在り方を輝かせるという理想に人間のたましいは向かっている。その影の部分として、エゴイズムが強くなる。

――自分が大事だから、他人を否定してしまうのですね。意見の違いや立場の違いを話し合うのではなく、否定してしまう。

石井 でも、自分の個を大切にするために、他人の個を否定する必要はないはずです。自分のかけがえのない個を大切にするなら、他人のかけがえのない個のことも大切に思えるはずです。

――自分の個も他者の個も尊重できたら「利己」は「利他」になるといえるのかもしれません。利己と利他の問題は、人類の永遠の問題かもしれませんが、また最近注目されているテーマです。多くの方が他者との関わりに何かしらの悩みを持っているのですね。

石井 利己にしても利他にしても、やっぱり自分と相手を分けて考えていますよね。理想としては、あなたと私という区別を立てない。つまり、「自分はどこまでも個である」ということと「あなたと私はひとつである」という矛盾する両極を同時に成立させる。それが人間の究極の課題だと思います。

では、「自分と相手はひとつのものだと考える」とはどういうことかというと、それが、「関わる」ということです。

「関わる」ということは、自分と相手がひとつのものであるということを形にすることです。

▼「面倒くさい」は邪悪な存在が仕掛けてくる罠

石井 誰だって自分のことだけで精一杯です。他人に関わって余計に背負い込むなんて、面倒くさいこと。無駄なこと。

それが、「邪悪な存在」たちが仕掛けてくる「罠」です。

だから、「邪悪な存在」から自分を守るために、「こんなことをしても無駄だ」とか「こんなのは効率が悪い」とか「面倒くさい」というような考えに負けないようにしたいのです。

――はい。「こころを壊さない」ためには、「邪悪な存在」が仕掛けてくる罠に気づくことが大事なのかもしれません。

相手のためを思う行動って、「迷惑と思われたらどうしよう」とか「面倒くさい」とか「こんなことをしても無駄かも…」と躊躇して、やめてしまうことがあります。でも、そんなときは、この「邪悪な存在」たちを思い出して、ちょっとした勇気をもって、関わってみたいと思います。関わることは、自分や他人やみんなの「個」を大切にしていくことにつながるのですから。

今日はありがとうございました。

祥伝社
2022年5月23日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

祥伝社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク