『あっという間』
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あっという間 南伸坊著
[レビュアー] 橋本克彦
◆老いて健在「面白主義」
今年で七十五歳になる南伸坊はある日、自分の人生を「あっという間」と思った。
人生の感慨を「あっという間」と思って本の題名にしたけれど「どうということもない」とも思っている。歳月は人を待たずというこの感慨は誰でも納得するので「時は過ぐあっと言っても言わなくても」と、俳句を添えて、そのあたりの心境を書く。
著者は年をとったからといって教訓めいたことを言う気はないよ、と挨拶(あいさつ)している。
どこから読んでもいいエッセイをまとめたものだから、気楽にどうぞというわけだ。妻をツマと書く。そのツマを相手に日常のどうということもないコトガラをそこはかとないユーモアに包む。いかにも元祖イラストライター南伸坊らしい書き方で、この人の美意識は年をとっても変わらない。
前歯が取れてしまったことがある。ベランダの植木鉢の根っこを包丁で掘り返しているとき、包丁をかざして「ひひひひ」と笑った。ツマは「前歯のない顔で笑うとおっかない」といって大笑い。
また、泰山木の花に顔を埋めて香りをかぐために遠出したりしている。
彼が演ずる「田中角栄のミンミン蝉(ぜみ)」もすごい。この芸の面白さはその場にいなければわからないだろう。顔をしかめてミーンミーンと演(や)ると角栄そっくりなのだ。いまや年移り幾星霜、その角栄も歴史の棚に収まって久しい。
どうということもない老夫婦の日常と人生の思い出を書くその書きっぷりは、かなりの昔、面白主義をかかげた南伸坊らしいのだった。
団塊の世代といわれ、騒がしい全共闘世代ともいわれたその世代の年長組が七十五歳なのだ。高度成長期に働き始めていまや退職し、暇をつぶす世代。南伸坊の日常に共鳴する同世代者は多いはずだ。
この年になると先輩後輩友人知人がぽつりぽつりと逝く。ごく当たり前にそういう老齢になった。
評者の私は南伸坊氏の友人知人の部類である。さてどっちが先に逝くか、それを思うも楽しき哉(かな)。
(春陽堂書店・1760円)
1947年生まれ。イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト。『笑う茶碗』。
◆もう1冊
南伸坊著『生きてく工夫』(春陽堂書店)。健康をテーマにしたユーモアたっぷりのエッセー。