【聞きたい。】暮田真名さん 『ふりょの星』
[文] 桑原聡(産経新聞社 文化部編集委員)
■「あるある」の逆を行く川柳
「現代川柳」というジャンルで注目を集めている。
《いけにえにフリルがあって恥ずかしい》
《寿司ひとつ握らずなにが銅鐸だ》
《階段で寝る若者のたまごっち化》
現代川柳の何たるかを知らない人のために、自作から3句を選んでほしいと頼んで出てきたものだ。意味は分からないが、新鮮で妙に面白い。何を目指しているのか。
「短歌も俳句も自分の志向とはちょっと違うと感じていたときに、(川柳人の)小池正博さんの『水牛の余波』という句集に衝撃を受けました。そこでは言葉が人間の目的のために使役されず、人間とは無縁に存在しているように感じられたんです」
言葉はそれ自体として存在する。しかし人間に使役されているうちに、喚起するイメージが固定されたり、この言葉がくれば次にはこの言葉といった具合に鎖に縛られたりするようになった。
そこで、言葉にこびりついた垢(あか)を洗い流し、言葉と言葉の関係性の鎖を断ち切って、言葉を解放しようとしているのだ。
「一般的な川柳は、共感を誘い、くすっと笑えるものを目指していますが、それって現状を追認する危険性をはらんでいるように感じます。私は読んで安心できないものを書きたい」
「サラリーマン川柳」(第一生命保険主催)など一般になじみのある川柳が「あるある」を志向するならば、自身は逆に「ないない」を目指すのである。
日常生活で目にしたり、頭にふと浮かんだりした言葉にピンときたら、それを川柳の定型「5・7・5」のなかに放り込む。その際に論理性は無視する。
まさに奇行。「川柳はなぜ奇行に及ぶのか」と題した自身のエッセーに、こう書いている。
「『溜飲(りゅういん)を下げる』といった心性から無縁であるという一点において、これらの奇行は美しい」(左右社・1870円)
桑原聡
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【プロフィル】暮田真名 くれだ・まな 平成9年、東京都生まれ。早稲田大大学院文学研究科修士課程在学中。「川柳句会こんとん」主宰。