息子の知的障害、夫の突然死、手術の後遺症で車椅子生活……苦難を乗り越えてきた岸田ひろ実さんの手記

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人生、山あり谷あり家族あり

『人生、山あり谷あり家族あり』

著者
岸田 ひろ実 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103546115
発売日
2022/05/18
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

自分にも誰かにも、優しくなれる

[レビュアー] しまだあや(エッセイスト)


岸田ひろ実さん

長男の知的障害を伴うダウン症を受け止めた矢先、最愛の夫が39歳で急逝、さらに大動脈解離で受けた手術の後遺症によって車椅子生活と、死にたいほど落ち込んだ過去を持つ岸田ひろ実さんによるエッセイ集『人生、山あり谷あり家族あり』が刊行。苦難を乗り越えてきた岸田さんが、七転び八起きの人生をユーモアまじえて綴った本作の読みどころを、エッセイストのしまだあやさんが紹介する。

 ***

 大切な人の他界、ダウン症や発達障害、下半身麻痺、認知症。周りからは「大変だ」と思われることも多そうなキーワードと共に歩む岸田ひろ実さんとその家族。ひろ実さんは本の中で、こう話す。

「当の私たちは『大変だ』と思ったことは一度もありません。うちはダイバーシティ、つまり理想とされるコミュニティ。最高に愉快でハッピーな家族なのです。」

「辛い」と思ったその時。「幸せ」と思ったその時。「死にたい」と思ったその時。「生きたい」と思ったその時。それは何故で、誰が近くにいて、どんな言葉をかけられ、何に気づき、「最高に愉快でハッピー」があるのか。この本には、それらのエピソードが綴られています。

 本を読み終わって、まず最初に気づいたこと。

「あれ。私、もしかして今、弱ってんのかな?」

 もうちょっと丁寧に言うと、この書評を綴るにあたって好きなシーンをメモしていたら、比較的、落ち込んでいる人に向けたシーンを多く挙げてて。結果、自分の弱り具合に気づくことができた、という。ひろ実さんの言葉を引用しながら、紹介します。

 1つ目。「私は今でも元気がない時は無理して元気になろうとするのではなく、勇気を持って、いつもよりオシャレをします。」

 ひろ実さん、入院をたくさんするんだけど、その時、鏡に映る自分の顔のことを「ウルトラマンのダダ星人みたい」って言う(注:ひろ実さんはめっちゃ美人)。でも、ご友人がお見舞いに来ることになったから「まゆ毛くらいは描くか……」ってなる。そしたら「ダダより綺麗……! あっ、ごめんねダダ」って言う。それから、「じゃあパジャマも着替えて……オシャレして……ああ、お出かけも……」それで、ちょっとずつ元気になってく。

 2つ目。「今でも落ち込んだ時には、『明日何をしたいのか』、ここからはじめているのです。」

 同じく入院中、なんとか前向きに……ってことで、「明日何をしたいか」を無理やりにでも書き出していくひろ実さん、「まず、みかんゼリーを買いたい」って書く。「それから、外の空気を吸ってみたい」って書く。それで、また、ちょっとずつ元気になってく。

 3つ目。「自分のことを信頼できる行動とはなんでしょうか。それは、自分の『やろう』と『やれた』を一致させること。」

 さっきの「みかんゼリーを買いたい」もそうだし、「外の空気を吸ってみたい」もそう。「ここを片付けよう」「あれも頑張ってみよう」そんな小さな「やろう」「やれた」を繰り返していくと、ちょっとずつ自分への信頼を取り戻していけるよ、と読み手に教えてくれるシーン。

 ……ホントは他にも好きなところ、たくさんあるんだけれど。おむすびを、ひろ実さんは俵型、娘の奈美さんは三角、息子の良太さんは真ん丸に握るシーンとか。そんな良太さんがいきなり「ママ、トゥーリ、つくって」って言うところとか。ひろ実さんと奈美さんの安全地帯は、車の中だったこととか。「無関心が心地よかった」という旅先の話とか(気になるでしょ? 笑)。

 でも、最初に出たのはさっきの3つ。落ち込んだ「気持ち」を変えるのは難しいけれど、「行動」なら変えやすいし、気づけば「気持ち」も変わってく、そんなシーン。それで、自分の弱り具合に気づいたのだ。

 だから今週末は、自分を回復しに出かけようと思う。起きたらまず、しばらく袖を通せていないワンピースを着る。ばっちりメイクで近鉄百貨店の食料品売場に降り、いっちばん高い「みかんゼリー」を買って、屋上のベンチで食べる。そのあとのことは食べながら決める! うん、そうしよう。

 作家、母、車椅子ユーザー、セラピスト、そしてダイバーシティ家族の一員としての目線。あらゆる人に伴走し、伴走され、あらゆる予想外を歩み、あらゆる視点を持つ、優しいひろ実さん。けれど時には、「先ではなく、今この瞬間だけを見つめて、ぼうっとする」ことの大切さを話してくれるひろ実さん。そして、それらの過程や不思議に好奇心を持ち、山あり谷ありを越えていくひろ実さん。ひろ実さんに触れていると、自分の素直な気持ちがどんどん、洗い出されてく。自分にも誰かにも、優しくなれる。

 ところで、私は「自分の人生を折れ線グラフにする」という時間を、たまに取る。x軸は時系列。y軸は気持ちのアップダウン。「毎日おだやかに過ごせたらいいな」と思っていても、その実、ヘビメタ曲を波形にしたような、激しいグラフができあがる。そんな時、いつもチャップリンが出てきて肩をぽん、と叩き、「人生はクローズアップで見れば悲劇、ロングショットで見れば喜劇」という、あの名言を唱えてくるので、「まあ、そうだといいけどな~」とか言いながら、おやつを食べる。でも、これからはチャップリンじゃなくて、ひろ実さんの顔が浮かぶと思う。にっこり笑って、でも何も言葉は言わないで、ぎゅっ、とされる。ような気がする。

新潮社 波
2022年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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