「一株の大毒草」と非難された一九五〇年代・中国地主階級の悲劇
[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)
方方という作家の名前を知ったのは『武漢日記』として本になった彼女のブログの存在からで、ロックダウン下の武漢の人々の暮らしをありのままに伝えようとするこの日記は、中国政府にとって非常に煙たいものだったようだ。
『柩のない埋葬』は、その方方が二〇一六年に発表した長篇小説。一九五〇年代の土地改革の中で地主階級の一族に起きた悲劇を扱っており、作家の歴史観を窺い知ることができる。本書は、民間が主催する路遥文学大賞を受賞するが、「一株の大毒草である」とする激しい批判が退職高官から出て、国内では事実上の発禁状態にある(訳者あとがき)。
記憶を失った一人の女性がいる。彼女は川で流されているところを救出されるが自分が誰かわからない。その後、自分の命を救った医師と再会して結婚、男の子を生むが、夫は交通事故で急死。家政婦として働きながら、息子を育て上げる。
建築を専門とする息子が母のために買った家で、彼女に異変が起きる。磁器の古典的な模様に見覚えがあるようだし、竹藪を眺めて漢詩をつぶやいたりする。貧しく生きてきた母が、なぜそんなことを知っているのか。息子は疑念を抱き、新しい家で暮らすようになった母は、意識を失ったまま眠り続ける。
つらい過去を取り戻すべきか、思い出さず幸せに過ごしたほうがいいのか。同じ問いが、何度もくりかえされる。眠り続ける母は、眠りの中で一段一段、地獄の十八階段をのぼって過去を取り戻す。母のことを心配する息子も、地方豪族の荘園を研究している友人と旅するなかで、導かれるようにして母の真実に近づいていく。
忘却を選ぶ人もいれば記憶を選ぶ人もいて、作家はどちらかを強制せずその選択を批判することもしない。だが生きるために忘れる人のそばにも誰か人はいる。証言者の言葉は必ず次の時代に残るのだ。