神になった武士 平将門から西郷隆盛まで 高野信治著
[レビュアー] 長山靖生(思想史家)
◆浮かびあがる日本人の心性
日本には神様が多い。山も川も湖も、吹き荒れる風や大木や人間だって神になる。死後、あるいは生きているうちから<神>として祀(まつ)られたのは、どんな人々なのか。
柿本人麻呂や菅原道真、平将門や崇徳天皇など、人でありながら神と祀られる存在は、本居宣長によれば「よにすぐれてかしこき」人たちだという。学問芸能などに卓越した人たちはもちろん、強い怨恨を世に残して亡くなった方も、常人とは異なる強いパワーを備えた「世に優れた」存在であり、祟(たた)りなす怨霊と怖(おそ)れられ、御霊として祀られることになった。御霊は地域と密着しており、私も平将門には特別な畏怖の念がある。
本書は神として祀られた人々の中でも、特に武士に注目し、彼らがなぜ神と祀られたのか、どのように崇(あが)められ、またその事跡が時代とともにどう語り変えられていったのかを、膨大なデータをもとに解き明かしていく。
柳田國男は御霊信仰を人神(ひとがみ)の基本とし、先祖神は子孫による先祖祭祀の「私廟」として人神とは捉えていなかったという。御霊(怨霊)は不特定多数の人々から怖れられ、信仰の対象となったのに対して、大名家などの先祖神は特定の関係者が祀る存在だったのである。それが近世になると、怨霊ではない武士祭祀が急速に増加したという。
藩主の私的先祖崇拝が家臣や領民にまで広がる。それは強制というより「参拝を許す」という形をとった。そこには藩主藩士と領民の絆を強めるだけでなく、現実的な地域守護などの利益への期待などもあった。また怨霊が疫病退散の福神に転じたり、大漁祈願の対象になったりする。
武士を祀った神社が江戸時代よりも近代以降に増えたというのも意外だった。そこには楠木正成ら南朝遺臣を崇敬し、忠孝の美徳を国民道徳のためにも讃(たた)えようとする価値観がはたらいていたのだろうが、それが武士祭祀という形になったところが面白い。そういえば近代日本では「軍神」の合祀(ごうし)や顕彰も盛んだった。人神に寄せられた思いを通して、日本人の心性が浮かびあがってくる。
(吉川弘文館・1980円)
1957年生まれ。九州大名誉教授。著書『武士神格化の研究』など多数。
◆もう1冊
伊藤聡著『神道とは何か 神と仏の日本史』(中公新書)