『一汁一菜でよいと至るまで』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
「一汁一菜」で幸せになって欲しい
[レビュアー] 土井善晴(料理研究家)
料理研究家・土井善晴による新書『一汁一菜でよいと至るまで』が刊行され、話題だ。料理がたいへん、献立を考えるのが面倒、毎日なんて無理といった人たちに一筋の光明を与えた「一汁一菜」という斬新な提案。そこに至るまでの半生と思考の過程を綴った土井さんが、新刊に込めた想いを伝える。
***
やっと本が出ることになりました。『一汁一菜でよいと至るまで』という、初めての新書です。
この「波」で二〇一八年の十一月から、一年以上にわたって連載した文章をまとめて、加筆して、書き直して、削って、また加えて、と、何度も試行錯誤したものです。連載当初から、拙い私の文章を楽しみにしてくださっていた方がいらして、その上、「いつ本になるのか」という問い合わせのお電話を何本も頂戴した、と担当の編集者さんから聞きました。本当に、ありがたいことです。そういう方の顔が浮かんで、頑張れました。
連載の当初は、毎月の締め切りに間に合わせるのに精一杯で、連載原稿を書くことそれ自体が挑戦でした。それをまとめるというのですから、さらなる大きな挑戦です。そもそも、連載を始めるにあたり、担当の方に言われました。
――『一汁一菜でよいという提案』(新潮文庫)で書いたような、ある意味で、料理研究家としての自らの首を絞めるであろう「提案」をする、土井さんのような奇特な料理研究家がなぜ誕生したのか、ご自分のことを書いてみてください。
言われてみれば、料理研究家の父親を持ち、料理の道を歩むことは十代の頃には志していました。とはいえ、あまりにも何もできない自分がそこにはいて、スイスやフランスへ武者修行、帰国時には神戸のフレンチで、そして自分に足りない日本料理の現場「味吉兆」で仕事しました。その後父の料理学校を手伝い、教壇に立ちましたが、修業時代に出会った素晴らしい人、技、美しいもの、その全てを伝えるのは難しいことでした。
そこで大きな壁にぶち当たるのです。プロの料理と家庭料理の違いをどう考えるべきか。その後、悩みに悩みました。とにかく手足を動かして、会うべき人に会って、たくさん話して考えて、とやってみるしかなかった。父、土井勝は、「善晴は料理しかできないからね」と言いましたが、その通りで、今もそれは変わらないのです。
一九五七年生まれの私は、そうして、料理のことばかりに携わる人生を過ごしてきました。それをまとめたのがこの新書です。どうして「一汁一菜」というスタイル、思想に至ったのか、その思考の流れをまとめる結果になりました。連載の企画が出てから五年、「一汁一菜」を最も必要とする、働く世代が読む新書という形になり、嬉しく思っています。簡単に、当たり前に、人生を豊かにする「一汁一菜」に、難しいことは何もありません。それに「失敗」ということもありません。その日の挑戦の結果が伴わなかった、というだけ。誰もが成長途中ですから、大丈夫。
料理という行為、それを日常にする「一汁一菜」というスタイルを武器にして、幸せになってください。それが私の願いです。