「桃尻娘サーガ」を捉え直してみせた熱い長篇評論

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「桃尻娘サーガ」を捉え直してみせた熱い長篇評論

[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)


『文學界』2022年6月号

 橋本治が亡くなってはや3年半。『文藝』別冊や『ユリイカ』の追悼特集号を筆頭にそれなりに論じられているものの、どうも隔靴掻痒の感が拭えない。私も双方に寄稿したが、手探りに終わった自覚がある。

 理由はいろいろ考えられるが大きいのは二つ。一つは、橋本の残した仕事があまりに多様かつ膨大で全体を捉えるのが非常に困難であるため。もう一つは、デビュー作『桃尻娘』の解釈と位置付けにとても難しいところがあるため、だ。

『桃尻娘』の第1作が出版されたのは1978年。1990年まで書き継がれ全6部の「サーガ」となった。

 榊原玲奈を中心とした高校生男女らの群像を一人称口語体で書き「リアル」と評されたこの小説自体は、娯楽小説の体で難しいものではない。だが、橋本の全体像に繋げようとすると途端に扱いに困り始める。男性論者は口を濁し、女性論者は熱狂を告白するばかりで、橋本治全仕事の中でポッカリ浮いてしまうのである。

 千木良悠子「小説を語る声は誰のものなのか――橋本治『桃尻娘』論」(文學界6月号)は、「とにかくありとあらゆるテーマに絡みついた歴史物語を普段日常で使う日本語で、たった一人で語り直すという前代未聞の言語芸術の旅に出たのは、自分の愛する小説の主人公たちの『声』に正当性を与えようとしたことが始まりだっただろう」と「桃尻娘サーガ」を橋本治の仕事全体に接続するばかりか、全体を統べるものとして捉え直してみせた長篇評論である。千木良はすでに『文學界』1月号に「橋本治と日本語の言文一致体」を発表しておりその続篇でもある。どちらも熱い!

 文芸誌6月号は芥川賞上半期候補作選出の締切にあたる。加えて『群像』では新人賞の発表があり、それなりの数の新人小説が掲載されているが、紹介したい作品は残念ながらなかった。

 この上半期はいつにも増して低調な印象で、前回取り上げた文學界新人賞受賞作である年森瑛「N/A」(文學界5月号)がひとり突出しているものの、選考委員たちには作為的過ぎると嫌われそうな予感もしたり。芥川賞は相変わらずさっぱり予想がつきませんね。

新潮社 週刊新潮
2022年6月16日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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