芭蕉が生んだ問答無用のマテリアリズム

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松尾芭蕉 おくのほそ道/与謝蕪村/小林一茶/とくとく歌仙

『松尾芭蕉 おくのほそ道/与謝蕪村/小林一茶/とくとく歌仙』

著者
松浦 寿輝 [訳]/辻原 登 [著]/長谷川 櫂 [著]/丸谷 才一 [著]/大岡 信 [著]/高橋 治 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784309728827
発売日
2016/06/14
価格
2,860円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

芭蕉が生んだ問答無用のマテリアリズム

[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)

 書評子4人がテーマに沿った名著を紹介

 今回のテーマは「梅雨」です

 ***

 松島から平泉へと北上していくくだりは、『おくのほそ道』の一つの山場を形作っている。旧暦の三月二七日に江戸を旅立った松尾芭蕉が、松島までやってきたのは五月のこと。つまり現在の六月、梅雨のまっただなかの旅路である。

 長雨で地面がぬかるみ、歩きにくい。持病の胆石症にも苦しめられながら、もし野垂れ死にするならそれも天命だと自分を励まして、四六歳の芭蕉は道を踏みしめた。

 梅雨を表す「五月雨」の語が用いられている。やがて念願の平泉に到達した芭蕉は、「夏艸や兵共が夢の跡」の句を詠む。その後南西に向かい、最上川を船で下ろうと思い立つ。松浦寿輝の現代語訳によれば「満々たる奔流の勢いに、舟を進めるのがあやういほどだ」。そこで詠んだのがあの一句。

「さみだれをあつめて早し最上川」

 松浦の注解が興味深い。この句、初めは「あつめてすゞし」だったことが知られている。松浦は「早し」への修正によって「人の思いと無関係にただ滔々と流れてゆく川の即物的な現前」が際立ち、「絶えざる移動感の横溢する『おくのほそ道』」にふさわしい作になったと分析する。

 なるほど、「あつめて早し」のいわば問答無用のマテリアリズムこそ、この句の力の源だろう。そのおかげでぼくらは今なお、梅雨時に雨水が勢いよく側溝を走っていくのを見ると、つい最上川を思い浮かべてしまうのである。

新潮社 週刊新潮
2022年6月16日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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