『狂伝 佐藤泰志 無垢と修羅』中澤雄大著(中央公論新社)
[レビュアー] 川添愛(言語学者・作家)
不器用作家 危うい魅力
5回も芥川賞の候補になりながら受賞を逃し、1990年に41歳の若さで自ら命を絶った小説家・佐藤泰志。亡くなってから17年後に作品集が出版されて注目を集め、近年では故郷・函館の有志によって「海炭市叙景」「そこのみにて光輝く」など5作品が映画化され、国内外で高い評価を受けている。泰志の小説に触れた人なら、この“奇跡の復活”が必然であることに異論はないはずだ。泰志の描く「街」の絶望的なまでの閉塞(へいそく)感、そこでひしめき合う人々の生命の煌(きら)めきは、時代を超えて読者に力強く訴えかける。
本書の著者も、泰志の作品に魅了された一人だ。著者は泰志の評伝を書くために10年以上の歳月を取材に費やし、新聞記者のキャリアまでなげうっている。遺族から提供された膨大な書簡群や手帳のメモ書きを丁寧に読み解き、泰志と敵対した人や不倫相手を含む関係者ほぼ全員に会って話を聞く。そのような執念の取材によって、人生の各地点における泰志の境遇と心境を生々しく再構築してみせた。
600ページを越える大著だが、いったん読み始めると先が気になってしまい、一気に読んでしまう。文学賞の授賞式で他の受賞者とトラブルを起こしたり、意見の合わない編集者と殴り合ったりする泰志が実に危なっかしく、目が離せないのだ。
本書を読んで、才能というのは一種の呪いであると確信した。うまく飼い慣らして日の目を見せてやらなければ、持ち主を内側から食い尽くす。佐藤泰志は、自らが抱えた“修羅”を御しながら生きるにはあまりにも不器用で、純粋だった。だが、その危うさが多くの人々を惹(ひ)きつけたことも間違いない。
読んでいるうちに泰志の実体験と作品とのリンクが浮かび上がってくるのも興味深い。書くことに取り憑(つ)かれた男と、その人生に魅せられた男、二人の狂気が生み出した名著である。