『聯合艦隊――「海軍の象徴」の実像』
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【聞きたい。】木村聡さん 『聯合艦隊 「海軍の象徴」の実像』
[文] 磨井慎吾
■「海の関東軍」 暴走と破滅
男が一生に一度はやってみたいもの、連合艦隊司令長官、オーケストラの指揮者、プロ野球の監督-。
戦後もそうした言葉が残るほど、旧日本海軍の象徴である連合艦隊の栄光は絶大なものがあった。長年にわたり海上戦力のほとんどを占め、海軍最大の出先機関として強い影響力を及ぼしたこの組織の功罪を、新進気鋭の歴史学者が戦史ではなく政治史からのアプローチで描き出す。
その結論は、陸軍中央の統制を離れて満州事変を引き起こした関東軍と相似形の「海の関東軍」だったという厳しい評価だ。
「少なくとも、戦争指導をひっかきまわしたという点では同じです」
日清・日露戦争で臨時に編成され大勝利を導いた連合艦隊は、大正12年から常設されるようになる。その背景には、前年のワシントン海軍軍縮会議で主力艦の保有比率が必要量を下回る対米6割に設定されたことを受けた精兵主義の方針があった。以後、昭和初期のロンドン海軍軍縮会議をめぐる海軍部内の激しい対立を受け、連合艦隊司令長官の存在感は増していく。
「連合艦隊の根本には、とにかく艦隊決戦で勝てばいいという発想があった」
連合艦隊の目的は、日露戦争時の日本海海戦を範とし、敵主力に艦隊決戦を挑み勝利すること。だが航空機や潜水艦の発達で戦争の形態が変わった第二次大戦期になると、建前と現実がかみ合わなくなっていく。そのため、海軍の作戦で陸軍部隊を太平洋の島々に引きずり出しておきながら、海軍都合で見捨てる悲劇も繰り返されるに至った。戦争に勝つための連合艦隊が、最終的には戦争に適応できない組織になり果てていたという指摘は皮肉だ。
「組織は一旦できてしまうと、あとは慣例的に動かすだけで済むので、無くしてしまうのが難しくなる」
現代日本にも、示唆するところは大きい。(中公選書・1870円)
磨井慎吾
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【プロフィル】木村聡
きむら・さとし 別府大専任講師。平成5年、茨城県生まれ。北海道大大学院文学研究科歴史地域文化学専攻博士課程修了。防衛大学校総合安全保障研究科後期課程特別研究員などを経て4月より現職。