『家族』
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それは、最も近くにいて最も迷惑をかけられた存在
[レビュアー] 伊藤氏貴(明治大学文学部准教授、文芸評論家)
学生時代に英会話の授業で‘my family’と言ったら、「お前はもう結婚しているのか」とネイティブの教師に訊かれた。親兄弟の話だと言うと、それなら‘our family’だと直された。三世代の大家族で育ったので、そのときはピンとこなかった。
だがそれから三十余年、自分も世間も変わった。「毒親」などというおどろおどろしい言葉が定着し、以前はタブー視された「私たちの家族」の闇が次々に明るみに出された。
本書もその系譜の中に位置すると言えば言える。両親と兄一人。末っ子として生まれた著者が、その全員を喪ったあとに振り返るようにして書いた一「家族」の肖像である。
自身は子どものときから心臓が弱く、誰からもいたわられて育ったが、父と兄の間の確執には凄まじいものがあった。夫婦でジャズ喫茶を経営していた両親。父は気難しいが器用で女性にモテ、ただ、自分に顔が似ていないという思い込みで息子にひどく辛く当たる。息子はしかし、そんな父を心の中で慕いつつ、成長するにつれ当然反発もする。母はそんな息子に甘く、次第に共依存の関係に陥っていく。直接の暴力や虐待の犠牲にこそならないものの、著者もその愛憎関係の中で一人鬱屈した思いを抱え込まざるをえない。
ただし、これは告発の書ではない。そういうものと一線を画するのは、著者の家族に対する眼差しの温かさと距離感のゆえである。もちろん心の底から憎いと思ったことも縁を切りたいと思ったこともあっただろう。しかし、最も近くにいて最も迷惑をかけられた存在だからこそ、誰より深く理解できる部分もある。そこに焦点が当たっている。父も母も兄も、皆自分のギリギリを生きていた。そのことが「私の家族」を持つようになった今よくわかるという。「私たちの家族」がうまくいかなかったからといって、「私の家族」を諦める必要はない。二つの「家族」を分けることにやはり意味はあったのだ。