『余烈』
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[本の森 歴史・時代]『余烈』小栗さくら
[レビュアー] 田口幹人(書店人)
歴史タレント小栗さくら初の歴史小説『余烈』(講談社)を読んだ。
博物館学芸員資格を持ち、歴史番組やイベントのMCや講演など、様々な形で歴史の魅力を発信されている氏の、小説家としてのデビュー作である。
余烈という言葉を辞書で引くと、先人が残した功績、後世になってもかわることのない威光とある。読後の今、著者がどんな想いでこのタイトルを選んだのかを理解することができる。
本書は、歴史に名を刻む中村半次郎、小栗忠順、武市半平太、土方歳三を、彼らの側でともに並走した者たちを通じて描いた短篇集だ。
幕末という動乱の時代を描いた様々な過去の作品を踏まえ、線としての歴史ではなく、四つの点を創作で紡いだ歴史ドラマに、読んでいて不思議な心地よさを覚えた。
「波紋」で描かれた、師を斬らざるを得ない状況下、忠義と恩義の狭間で揺れ動く半次郎の姿は、「人斬り」というイメージとはまるで違うものだった。
「恭順」は、正義をも捻じ曲げてしまう大きな時代の変革期に飲み込まれた幕臣・小栗忠順とその息子の又一の物語である。
「誓約」は、攘夷と挙藩勤王を掲げた土佐勤王党が政局をきっかけに破壊する様を切り取った一篇だった。
いずれも、忠義・恩義・正義という義が重んじられた時代において、不忠・怨恨・不義という理不尽さを正面から受け止める精悍な人々の姿を紡いでいた。
最後に収録されている「碧海」は、テイストの違う一篇だった。箱館戦争時に土方の側近を務めていた立川主税を通じ土方歳三を描いた物語だ。
主税が最後の使命をどんな想いで果たしたのか。前出の三篇と同様に、志を遂げることが叶わなかった土方を描いているはずなのに、「碧海」だけは読後感が違うのだ。
ここに著者の歴史との関わり方を読み取ることができる。
作中、こんな一文がある。
「生きている人間が死んだ人間にできることは、二つしかない。その人間の意地を守ることと、弔い続けること」
さらに、「生きている者に死した者のことを伝える……これも弔いの一つだったのだ」と。
先人が残した功績を、そして先人が積み重ねてきた歴史を、今とこれからに伝えることで弔い続けるために書いたのだ、という著者の想いを感じることができた一文だった。
小説家・小栗さくらがこの後、どんな作品を読ませてくれるのか、楽しみでしかたない。