『江戸の宇宙論』池内了著(集英社新書)
[レビュアー] 中島隆博(哲学者・東京大教授)
翻訳には世界認識や宇宙認識を根底から改める力がある。長崎通詞を務めた後にオランダ語文献の翻訳を行った志(し)筑(づき)忠(ただ)雄(お)は、世界認識においては「鎖国」という概念を造語し、当時の日本を世界の中に位置づけた。
その一方で、引力・求心力・遠心力・重力などの物理用語を生み出し、ニュートン力学を正確に理解した上で、従来の天動説に代えて地動説を紹介し、宇宙認識を刷新した。なお、天動説・地動説という言葉も志筑が作り上げたものだ。
志筑はその上で、独自に「無数の太陽が広大無辺の空間に点々と散らばっている宇宙像」である無限宇宙論を提示し、同時代の天文学の先端に立った。
その志筑やその他の天文学の訳業を参考にして「生命が多数生まれる宇宙」を論じたのが山(やま)片(がた)蟠(ばん)桃(とう)である。升屋を差配して大名貸しの豪商にした手腕を学問に活(い)かし、大坂の学問所、懐徳堂で学んだ蟠桃は「恒星には必ず惑星が付属し、どの惑星にも人間が居住する」という、現代にも通じる宇宙像を提示した。翻訳を通じて「科学」の分野に遊ぶ。江戸の人々の好奇心に触れる好著である。